その「エコ常識」が世界を破壊する
ecoという活動に対してのぼくの感想はは、基本的に武田邦彦さんの本から学んだことがベースにある。だから普通の人が抱くeco活動については疑問を抱いている。 マスコミの呼びかけというものは、そのまま信じるとろくなことにならない。それは歴史も証明している。例えば夜のニュース番組を見ればいい。不思議な主張をそれぞれのキャスターたちが真顔でしている。物事の背景をちょっとでも自分で学べば、あるいは述べられていることに対する根拠を自分も探してみれば、あるいは、自分がよく知っている分野の状態に対する解説と提案を聞けば、ニュース番組をみるために自分の限りある時間を使うことはもったいないと感じるだろう。 この本を読むと、事実を知って驚くと同時に嫌な気分を味わうことになる。そしてそのほとんどは役所とマスコミに対する不信感と嫌悪感になる。自衛のために学ぶことは必要だと思うが、一方でなにも嫌な気分を自分から進んで味わう必要もないだろうにという気分もする。 いわゆる普通の人が始める「eco活動」の代表的なものに、ペットボトルの分別回収とレジ袋の廃止がある。ぼくはこんなことをやらない。ぼくはマイカーを使っていない。それだけで、マイカーを持っている人と同じ事をやる必然を感じない。自動車のガソリンのような高品質な石油生成物を使えば、いったいどのくらいのレジ袋ができるのだろうか。マイカーで五十キロも走ったら、ひょっとしたらレジ袋一生分くらいあるかもしれない。そう考えると、ペットボトルとレジ袋をどんなにリサイクルしても無駄だと感じるのだ。トータルの節約でいうのならば、自家用車ナンバーを持つ人がまずやればいい。 普通の人ができるCO2削減方法はない。そう武田邦彦さんの著作にある。国のレベルで初めて意味をものを個人でやっても意味がない。工学という学問を学ぶとその感覚になっとくがいく。なにか良いアイディアを出したときにまず検討するのはエネルギー密度である。このオーダー計算(だいたいの量の計算)を行い、アイディアをふるいにかける。そして、たいていのアイディアは残らない。この観点から言えば、エネルギーを大量に使っているところに処置をすることがなによりも大切であって、一般家庭が束になってやっても効果がない。本当に削減するのならば、石油の値段を倍にすればいい。生活が苦しくなるはずだが、それで一発で削減できるはずである。マイカーに載っているひとが口うるさくレジ袋ゼロ運動をやっいたりする。そもそも、レジ袋を使わない運動を促進する人は、マイカーを乗り続け、クーラーをつけ付ける。自分が嫌な思いをすることは、実はやらないのである。いわゆる普通の人とはこういう人なのである。何かができるわけではない。 本当に何かをするためには、個人の努力などを期待しても仕方がない。人にやらす事しか頭にない連中が、ガンなんだよなぁ。そういう落ちなのだ。果たして、どれくらいの人がそのことに気づくものなんだろうか。 |
