青春ピカソ
岡本太郎さんのしゃべりは長嶋茂雄さんと同じようなものだから、言葉が表現手段である著作は読めたものではないだろうと思っていた。が、読んでみるとその語り口はいたって分かりやすく、知性を感じられるものだった。 普通の人が抱く岡本太郎のイメージは、晩年のテレビCMをみた映像作家たちが、偉大な芸術家の偶像として作り上げたキャラクターを演じさせていたのかもしれない。なんだ、ちゃんとした、立派な人じゃん。 この本では、岡本太郎が若くして留学したフランスでの経験を語ったものである。芸術とは何か、どんな芸術に感動するのだろうか。そんな芸術の対象としての絵画に目覚めた様子と、その街で出会った真の芸術家像であるピカソについて語っている。 絵画に感動して涙を流す。そんなことあるのだろうか。よくわからない。絵を見てすごいなぁと思ったことはぼくにもあるが、涙を流したことはない。岡本太郎さんも初めはそうだったようだ。 フランスのルーブルでみたセザンヌに感動し、いいなぁと思ったのが始まりだそうだが、涙を流して歩いて帰ったのは、ある画廊にあったピカソの絵が原因だった。 ピカソの絵が名画だといわれるが、一方で普通の人が名画だとは思わないだろう。岡本さんの解説を聞いても、なるほどそうかもしれないが、だからといって自分もピカソを好きになってしまうことはない。 どうしてそうなのか。その理由をぼくは知っている。体験として知っているのである。それは、どのくらい絵を見たのかである。つ多くの絵を見ると自然と「カテゴリー」分類するようになる。単純には好き嫌い、いい感じ、もうひとつ。そいう感情的な反応が集積して、自分なりに「良い悪い」という判断基準ができあがる。そして、自分の経験のなかで見ることができる絵の種類は限れているので、でき上がった判断基準も限られることになる。そこに、これまで内容な絵を見るとどうなるか。判断ができない。どうしていいかわからないという混乱が起きる。その混乱を勘違いすることで、感動になる。 まぁ、そんな見解はどうでもいい。岡本太郎さんの言う芸術とは、おそらく泣いてしまうようなくらい感情を震わせるものなのだろう。おそらくそれは、美ではない。そんなことをぼやっと思った。 |
