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中国 地球人類の難題

井沢元彦
小学館
お勧め指数 □□□□■ (4)
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 井沢元彦さんの本はどの本も歴史に疎いぼくにすら「なるほど」を与えてくれる。歴史などろくに勉強しなかった人には貴重な学習の機会になるはずで、これまで読んだ日本史や宗教講座を扱ったもの以外にも読んでみたかった。歴史談義をするための歴史の知識などは普通の人にはどうでもいい。そんなことより日々のニュースを聞くときに補助線となってくれるような題材の本があるといい。ニュースキャスターの解説やら大学教授をはじめとした識者の発言は、なんでこんなに意味がないかあるいはピンボケの発言ばかり。発言者の「べきだ」論などどうでもよい。日々の生活には役に立たない。そんなものより、ニュースの構成するおおもと、つまりは地域や歴史、それらがどう変化し複雑化したのかを普通の人が把握しやすいように解説してくれる井沢元彦さんの本が読みたかったのだ。

 そういう期待で手にしたこの本のテーマは「中国」について。何やら敵対的な内容である。中立であろうとする知識人やある種の中国利権者からは白い目で見られる本であろう。もちろん普通の中国人から嫌われるのも間違いない。本書の主張は要するに、現代の中国にはいろいろな問題がある、ということ。出版された時期は北京オリンピック前。ボイコットするしないといったことは本書でもふれられているけれど、今となっては「ボイコットはなかった」ことがはっきりしていて、些細なことだがこの本に古さを感じさせているが、それ以外は別段古びていない。

 内容としては予想の範囲内である。要するに、今の中国の普通の人はどえらい苦労を背負わされているというもの。そのこと自体はいろいろなメディアでの報道とそう違いはない。住めば都と言われるが、中国で暮らす人もそうなんだろうか。家庭のレベルでは家は楽しいのだろうけど、社会や国というレベルになると必ずしも「良いことろだ」とは思っていないだろう。どんな人もそういう感覚はあるかもしれないから、程度の問題なのだろうけれど。

 なぜ井沢元彦さんは中国(政府?)について否定的な主張するのか。それはナチスに対してどう考えどう対応したらよいかという意味である。迷惑な隣人が出現し、その数が増え、やがて周りの国に災害をもたらすであろうということ。ナチスは過去のことで、しかもドイツ。その組織の発生、興隆、その結果は既に確定している。人類史に残る災いが生じた理由については多くの研究対象になっている。その成果を踏まえると、どうやら中国政府には危険なものを感じるということだ。そういう主張のようである。そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。住んだこともないので、ぼくには判断しかねる。それに人によって判断はいろいろかわるだろうし。少し前の日本も結果的には似たようなところがあったし。

 政府レベルではろくでもないとしても、その構成員である普通の人の評価は別である。普通の人が寄り集まって組織をつくると、その結果できてくる政府にはいろんなタイプのものができる。構成員一人一人の性質ならば、人類はそれほど違わないだろうは思っている。個人としては、いい人もいれば悪い人もいるという、どの国でも同じことだろうと思うんだ。

 ただし、この本を読んでいて、やっぱり怖いなと思ったことがある。それは、すさまじい格差の問題である。

 中国製の商品は安い。質がいいものもあるし、悪いものもある。食品などは農薬などでリスクが大きい。ただし、そういう点はどの国も同じだったはずで、人々の認識はだいたい似たように発生し発展するはずなので、時間がたてば世界的な基準に収まってくるだろう。なので、中国製品に対する不安は時間が解決するはずである。

 なぜ中国の製品は安いのか。安全性への配慮が弱いからではない。人件費の安さである。職人技を期待しないならば、あるいは「工夫する」「我慢する」というような、製品を作るために必要なメンタリティーが必須でないような工場システムを作ることができれば、中国には大勢の人がいる。言葉の上ではうまく表現できないが、信じがたいくらいの人がいる。当然、農村部に多くの人がいる。大抵の国の人口よりは遥かに多い人々がいる。だから人件費という面で中国は世界で飛び抜けて安い。その安い実験費のために中国は経済発展している。

 ということは逆にいえば、人件費が高騰したら他の国と条件は変わらない。教育なり訓練なり、インフラなりによってコストは上昇する。中国がなぜ経済発展しているのか。はっきり言えば、中国には「奴隷」のような状況の人が数億人いるからだ、と考えるといいのかもしれない。なるほど、そりゃ、一人勝ちできるだろうけど、発展すればすると危険な状況に国が置かれるのは明らかだ。

 国全体が似たような状況にあった時代ならば問題はないだろう。ところが現在のように都市と農村との違いが過激になると、都市の人は農村の人を「奴隷」のように考えるのではないだろうか。自分たちとは違う人々、のような感覚を抱き始めるのではないかと思う。そりゃそうだろう、あまりにも生活が違い過ぎる。同じ国の人だといっても、上海の高層マンションに住んでいる人と農村部の人とでは「同じ中国人」などと思えるはずはないのではないか。日本がそうなっていないのは、バカみたいな金持ちは別として、大多数は似たような暮らしをしているからだろう。

 オリンピック前後で、中国国内の人々の身分ようなものが確定してしまったのではないかと漠然と想像する。中国としての行動が、中国人というが都市の人であり、それ以外の人は中国人ではないというものが都市部で膾炙されるようになったりしているのではいか。金持ちは貧乏人の姿をみようとはしないし、手を差し出すことはしない。国内の貧富の差による不満は国を揺るがすことになる。そんなことは世界史の教科書を読めば、どの時代のどの国にもあったと知ることができる。人の基本的な性質から起きる現象のはずだ。だから時間の問題。

 中国製品は安いなぁと単に思っていたけれど、その背後にある貧富差の拡大と実質的な奴隷制、そして大勢の崩壊という筋が見えているだけに、この本を読んでいてそら恐ろしい気分になった。何も他人の不幸を願うつもりないので、うまくやってれればそれに越したことはない。助けられるところは助ければいいだけだ。だから、この本のタイトルも「地球人類の難題」ということになっているのだろう。