« ShallWeダンス? | メイン | なぜ、日本は誰でも総理になれるのか »

宗教なんてこわくない

橋本治
マドラ出版
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 橋本治という不思議な人については、数冊読んだことがあるに過ぎなかったのだけど、なにかと内田樹さんのブログに紹介があり、そのたびに読んでみようと購入していた本が手元に何冊かあった。昨日フッとこの黒い表紙の本を読みはじめたところ、宗教について「わかっちゃった」というところまで連れていかれ、他の作業を中止し最後まで読んでしまった。実に「すっきり」した。正直驚いた。なんだ、宗教ってのはずいぶんと簡単なことじゃないか。なんでこんなことを怖いだのわからないだといって忌避していたんだろうか。そんなことを軽く言ってしまえる自分がここにいる。橋本治さんは、なるほど不思議な人なんだ。

 その道筋は簡単なもので、宗教はism(主義)と同等であり、いや主義そのものであるのだと言う。そして、そんなismが発祥した時期は普通の人が学校へ行くことがままならい古代という時代であり、「自分を認識する」などということがほとんどあり得ない状況。そんななか、物事を自分の頭で考えて決めるという行動をとれない人がほとんどだった社会のなかで生きていく知恵として昇級というismは発明されたということである。そして最後には、自分たちは特別な集団であるという気分、自然や社会そのものに感じる恐怖をやわらげるための錯覚という方法なのだと結論づけている。いや、ちょっと違うかもしれないけれど、ぼくが理解したところを表現するならばそんなところになる。一回しか読んでいない状況で全部理解するのは、まぁ無理であるから仕方ない。

 こう考えると、宗教の役割はすでに終了している。なぜなら、みな自分で自分のことを考えることが原理的にできる環境にあるから。とは言っても人間が一様な環境下にいるわけではないから、できる人もいるし出来ない人もいる。おそらく、永遠にそうなんだろう。日本人に限って言えば、みな自分で自分の事を理解していると信じている。

 鎌倉から江戸までの時代には、宗教にはそれなりの信頼と畏敬の念を感じていたようである。しかし、江戸時代の檀家制度によって宗教が社会システムに組み込まれてしまい、それによって宗教の内実がばれ、普通の人にとっては畏敬ではなく笑いの対象になってしまったようである。幽霊は怖かったが、仏教が怖いということはなかったのだ。それは平和のなせる技、ということなのだろう。そしてそれは現在に至る。

 この本を読むまで、宗教とは人の心に働きける方法だと思っていた。その部分をさらに客観的に分析すれば、宗教は「主義」と違わないとわかる。逆に言えば、主義は宗教みたい。ある人のこだわる価値感を論理で説明されたところで理解できるというものではない。何を良いと思うかは人によって異なるから。主義にどっぷり浸かっている人は、不思議とそれを理解していない。自分の主義は決定的に正しいと信じている。そんなところは宗教と同じだ。自分たちがよいと思うものは、時自分たちにとっては疑いなく良いものであり、その意味で特別である。他の似たいようなものとは一緒にするな。宗教も主義もそれをもっている人の行動は同じになる。

 宗教の価値観は、そもそもが他のものと比較できないようになっている。比較演算ができない。論理というものが適用できない。だから、信じなさい、なのである。信仰をもつとは、要するに考える行為を放棄したこと。古代や中世であれば、普通の人が学ぶということは無理だった。学ぶのは社会生活を営むうえでの身体を使う技術に対するものがだけであったはずだ。

 思索というものは、職業訓練学校では学べない。突き詰めて考えるには、それなりの訓練がいる。学ばなければそうことは出来ない。ならば、それは古代でも現代でも同じ。だから自分で判断しないタイプの人はすぐに宗教にひっかかるのである。主義主張も宗教に経験なのもとくに男性。

 こう考えると、Windowsがいいか、Macがいいかも昔ッから言われるとおり宗教問題である。論理で決着は着かないし、双方自分が正しいと思っているので和解もない。もっといえば、どっちでもいいと思っている人からみるとあほらしい。

 宗教はあほらしいと思う反面、薄気味悪い。巷で跋扈している宗教に対してなんとなく薄気味悪く感じている人は多いだろう。一昔前のオウム事件を初めとした新興宗教も、タリバンなどの古くからある宗教の原理主義も、彼らの行動はその人たちにとっては真剣そのもの。しかし両者ともに日本の一般市民からは阿呆臭く、迷惑以外のなにものでもない。今年の衆院選にも新興宗教の候補のポスターが貼ってあったが、平成初期の頃を思い出した。歴史は繰り返すというが、この人たちにはなんで普通の人の感覚というものがわからんのだろう。主義や宗教のなせる技である。

 いかなる宗教でも、現代ではただの主義、あるいはイデオロギーの一つに過ぎないならば、熱狂的阪神ファンとキリスト教とは構造からして同じに扱っていいのだろう。もちろん、歴史や社会に与えてきた良い影響というものは尊重したほうがいいし、人が大切に思っていることをけなす必要は全くない。普通の人がそれらに対してある種の恐怖のようなものや気味悪さを感じる必要もない。しょうがねぇなぁ、と笑い飛ばすのが一番である。これがこの本の一つの主張であり、主義や宗教にたする処方箋になっている。書名のとおり「宗教なんかこわくない」のである。江戸の町民のように、主義も宗教も笑ってしまえばいいのだ。なんとさっぱりしたものだろうか。