私家版・ユダヤ文化論
ここのところ昔読んだ本のうち気になるものを読み返している。といっても内田樹さんの本が多いのだけど。先日、養老孟司さんと内田樹さんの対談を読み返し、その中でこの本についてが話題になっていた。この本は一昨年の暮れに読んでいるのだが、中身全般について今でも理解しているとは言い難い状態だったので、早速読み返してみた。 気軽に読めるタイプの本ではないだけに、つっかえつっかえ読み、ところどころ面白いなと思う場所を発見しつつ読み進めた。しかし残念なことに、この本一冊を「うわぁわかった」というレベルで理解することができなかった。というのは、面白くないところはどうしてもじっくり読む気がしないのである。説明の論理も語彙もぼくの理解の範疇内にあるから、文章のレベルでわからないところはない。よくある哲学書や法律文書のような意味不明さは全くない。にもかかわらず、まぁこの部分はぼくはよく知らなくてもいいや、と飛ばしてしまうのである。そんなことをやってるので、この本全体を俯瞰したときに、ところどころに島がぽつぽつ顔を出している程度で、あとは海の底。そんな感じである。 この本は内田樹さんが教鞭をとられている女子大での講義が元になっているそうである。女子大と一口でいっても、ずいぶんとレベルの高いことをやっているところもあるのだなと感心する。すくなくとも、ぼくがいた理系大学でこういう講義を開講していた先生はいなかった気がする。選択科目として受講できる一般教養には存在しなかった。専門分野の講義としてはあったかもしれないが、それはぼくにはわからない。 この本を全部が理解できない自分が情けない。人は何にもしなくても歳だけ取っていくが、それと賢くなることとは別だ。勉強しないでも何かの知見を得られるなどメッタに起きないのだ。 ではこの本の元になったような講義を今から受講すればいいのか。そうでもないだろう。学ぶのに適した年齢と方法があるはずで、単純に受講すればいいというものではない。まぁ仕方ない。しばらくして再度読んでみて、それでも理解できる範囲が限られていたら、自分のアホさ加減を嘆くとしよう。 |
