農協の大罪
マスコミで報道されないけれど、実は日本の大部分の人は知らず知らずに「農協の存在」の被害にあっているのかもしれないのかと知った。こんな本を出版できるのは宝島くらいなものだろう。そんな内容はセンセーショナルなものほど好まれるマスコミでは扱われないから、こういう本で読むよりない。ただし、そいうことを教えてくれる本を読む気分は、勉強になるなという感心もあるが、嫌な気分のほうが強いのだ。沖縄の苦い野菜を食べるような複雑な思いがする。なんでこんなものをわざわざ読まなければならないのだろうか、という気分なのだが。 非常に腹だたしいという感情的な気分、知ったところで個人としては為す術がないという諦観、ならばこういう被害を自分は受けないようにするにはどうしたよいかという考察。読書するにはいずれもマイナスの気分でであり、読んでいる最中に頭のなかでぐるぐると回る。決して楽しい読書ではない。できれば知らないで(読まないで)過ごしたい。とはいっても知らないと自分も巻き込まれてしまうし、かれらの思うつぼである。 本書で解説されている「農協の実像」には驚いた。農業人口が減り続けている時代なのだから「農協」という組織は「設立趣旨」のようには機能していないはずだとは思っていたが、ここまでひどい事になっているとは。農協について深刻に考えると暗くなるよりない。どっちにしろお気の毒な人生だ。一度しかないせっかくの人生なのに、人の迷惑しかしてない活動なんだから。 もっとも、こういうことは農協に限った話ではない。結果的に農協に似たことをやっている組織はいくらでもある。いわゆる特殊法人や独立行政法人も、時代時代の変化とともに変化しなかった組織は存続自体が目的という、ある種の社会的生物になっている。創立当時の組織設計意図と現実とが関係のないものになってしまうのである。それはそれで仕方ない。不思議なことだが、日本人の組織はたいていそういうものなのかもしれない。 ぼくは根っからの都市生活者である。最近は日本の農家の依存は決して高くない。中国をはじめ世界各国の農家に世話になっている。自分の暮らしから考察するに、べつだん日本の農家には世話になる必要ないのかもしれない。都民はエネルギーから食料まで実質輸入に頼っているのだから。 いざ、というときに日本の農家に頼ることができるのならばいいのだけど、それは期待できない。しばらく前にあった米不足のときに明らかになった通り、いざと言うときに農家は足元をみて値段を釣り上げるだけである。それはそれで合理的な生き方である。ただし、日常的にもいざというときにも日本の農家は都市生活者にとって頼りにならない。なのに、税金だけ巻き上げようとしている。そして何をやっているのかといえば、パチンコをしているだけである。農村のパチンコ屋はいつも大盛況である。筑波に住んでいたとき、そこから即刻引っ越ししようと決心したのは、そこいら中にあるパチンコ店の大型駐車場がいつでも満車だったのを見たときである。パチンコ代金消える農業助成金などは即刻中止してその分を医療保険に全額つっこんで欲しいところである。 予想通りだったが、この本を読むにつれ、どうしてもこんな情緒的な反応しか思い浮かばなくなる。そしてこの上なく不機嫌になる。読まなければ良かったと後悔する。 ダムでも農業でもそうだが、田舎の問題についてぼくがあれこれ考えても無意味なので、考えるだけ損である。彼らは彼らなりに「当然のこと」をしているだけである。悪気があってやっていることではない。当然のことを主張し、行動している。 大切なのは、この状態を終結させるために自分に何ができるか。実際のところ全くない。敵のことを腹立たしく思ったからといって何かが起きるわけでもない。つまり、腹立たしく思う価値すらないことになる。だったら、そんなものは考えることすら無駄ではないか。一番安上がりなのは、存在を無視するという単純なことになる。これじゃぁ、なにも進まない。 ぼくのような単純な思考しかしない人は、こういう問題を解決できないだろう。妥協策を考えようとしないからだ。本来であれば、ここで政治家が出動するはずだ。しかし、それも期待できない。だから、しかるべき役所にお鉢がまわってくるが、それこそ期待できない。なんだ、結局日本社会は崩壊いていくだけなのか。 しかし、内部事情にまで通じているこの著者はどんな仕事を役所でしたのだろうか。わかっていて、何もしなかったのか。あるいは、取ったけど無力だったのか。この本をかけるくらいの人が奮闘してどうにもならなかったのならば、どっちかが倒れたあとのことを予想して準備するより手がないような気がする。 |
