妄想力
久々に痛快な茂木健一郎さんの対談本を読んだ。最近は粗製乱造ぎみで暗雲たれこめてきた茂木本だが、この本はその暗雲のなかにきらりとひかる一条の喜びだった。気軽に読める対談本はこうでなければいけない。 とはいえ、この本の面白さは関根勤さんの話に寄り掛かっている。この本の2/3はは関根さんの発言で、ぼくが思わず吹き出してしまったところも関根さんのものだった。 関根さんの発言は自分の妄想についてばかりだが、それなのに不思議と感心したり笑ったり驚いたりバカにしたりと愉快な気持ちになれた。関根さんはそもそも嫌みを言うタイプの人ではないから、否定的な発言がない。あったとしても、後に引く苦味が一切ないのである。 茂木健一郎さんの役目は話を引き出すことと、話題の中で脳科学の見地から専門的な注を加えることにある。ただ、専門知識がなくたって話題進行に全く影響はない。編集でカットしてもいいかもしれない。注はむしろ逆効果で、面白い話で蘊蓄を垂れる人が混じっているような感じがしたのだ。この対談のできからいって、脳のことなんてどうでもいいのだから。 そう思ったら、なんだ茂木健一郎さんの役目は少し違うフェーズに入ったのかも知れないと気がついた。茂木健一郎さんは学者である。脳についてはよく知っている。質問すれば答えてくれるだろう。しかし、そういうものはもうあえてしなくていいのかもしれない。つまり、茂木健一郎さんの雰囲気があるだけで、相手は面白い話をしたくなり、そしてついついしてしまう。そうなったら脳科学からの解説なんて全くなくていい。一人の普通の人として、愉快に笑っていればいいような気がする。茂木健一郎さんの「師匠?」でもある養老孟司さんは、解剖学者であるという肩書きをすでに意識していないでいろいろ発言されているし、その話を聞く方も期待していない。だれも『バカの壁』に脳科学や解剖学の内容を思い出すことがないだろう。もう大学を退官されたからかもしれないが、解剖学的にこうである、なんて注を入れるなんてやっていないかった。それでも、面白い話をいろいろしてくれたし、対談では話者の話を引き出していた。 面白いとなにか、いい感じの人はどういう人か。その辺りを脳科学の見地から見たらどんなことが言えるのだろうか。必ずしも「蘊蓄」や「注を入れる」という行為は、楽しい話を引き出すことには必要ないだろうなと感じた。 |
