美術で読み解く新約聖書の真実
この本のタイトルは少し大げさだろう。「真実」というほど何かをつまびらかにしていないし、「読み解く」というほど図像を解析していないからだ。旧約聖書学者である著者が、新約聖書のプロットをネット閲覧できる絵画を用いて解説し、新約聖書の「トンデモ度」をおちょくる本という紹介が一番ぴったりな感じである。なので、真剣にキリスト教と向き合っている人には腹立たしく感じる内容だろう。でも、普通の日本人に対してならば、面白おかしく知識を獲得する手段であろう。 著者は聖書に書かれた物語のおかしなところをいろいろ挙げてくれる。「信じる」ことからほど遠い人である。学問対象として聖書を選らんでいるからだろう。キリスト教とは無縁の育ち方をした日本人の感覚に近い解説をしてくれる。なので、それはそれで普通の日本人からみればありがたい。 しかし、それではなぜ聖書を研究するようになったのだろうか。研究の動機は興味であり、もっといえば、好きだからというのが普通であるし、また素直なものである。好きでもないものを探究するなんて、もっと言えば自分がおちょくるような本を研究するなんてことをどうして始めたのだろう、その必要があったのだろうか、不思議である。きっと勉強しはじめたときは好きだったが、勉強していくうちに「聖書」が形成されていくプロセスとその人間臭さのようなものを十分に知ってしまい、とてもじゃないがやってられなくなった。そういうところだろうか。 西洋絵画のうち、名画と評価されているものは聖書の物語を題材としているものが多い。とくに中世から近代までの長い間、絵といえば聖書物語の一シーンといってもいい。となると、名画を観ると女性と子供が主役なのが意味不明であるはずだ。キレイな女性は絵になるが、この子供はちっとも可愛くない。西洋人の子供は可愛くないものなのだろうか、と疑問が湧いてくる。実際ぼくはそう思っていた。 わけわからない状態で絵を見続けるのは辛い。だから、絵画なんてつまらんと思ってしまう。だからだろう、日本で名画といえば「印象派」に限定されてしまう。これならばキリスト教の知識ゼロでも楽しめるからだ。 でも、それじゃぁもったいない。絵画はその意図することを知ることで、味わいが増す。 とはいえ、聖書をゼロから読んでもピントこないものである。というのは、信じる人たちに向けて書いている本を普通の人が読んでいくと、突っ込みを入れたくなる箇所ばかりでとても読み続けられないからである。 ならば、絵の解釈に必要な部分の聖書物語の解説があればいい。著者である秦剛平さんはそういうコンセプトでこれまで何冊か著作を出版している。それらを読んだが全部愉快なものだった。しかも山本書店の翻訳本がある人だから信頼度は高い。 この本も面白いだろうなぁという予想を持って読んだのだけど、どうだろう、もうひとつだった。新約物語の進行に合わせて、重要なシーンを挙げ、それの解説を行っているというスタイルは以前の本とかわりない。また、物語全体からみた各シーンの矛盾点などをきちっと?おちょくってくれている。それでも、なにかが足りないのである。はて、どうしてこの本はもうひとつなのだろうか。 多分だが、『美術で読む〜』という以前の著作をぼくが読んでいるからであろう。つまり、この本はそれらの焼き直しの要素が多いからだと思う。「しってるなぁ」「聴いた事あるなぁ」というところが結構あるのだ。そして、決定的なのは、秦剛平さんのカルチャースクールでの講義をぼくは聴いていることだ。そう、この本はその講義での話題を再構成してまとめたようなものなのだ。だから、面白いはずない。というわけでこの本は秦剛平さんの著作を全く読んだことがない人にお勧め。 |










