日本辺境論
待望の内田樹さんの著作が出版された。新潮新書なので街中の本屋さんでも平済みされている。早速購入し、日曜日の楽しみとして読んだ。 いやー、愉快。自分の何気ない、無意識で普通にやってしまうことの根源的理由を解き明かしてくれたような気がする。なるほど、そうだったのか。自分の感情や行動指針の根源に触れた気分。腕のいいセラピストはこんな風に「あなたはこういう人です」と話してくれるのだろうか。 内容は日本人論である。「真実や文明は日本の外からやって来る。日本の知識人はいかに早くそれを吸収し、そして自分たちの足元をバカにすることで自分たちが高みにあがるのかを考えている」。なんども聞いた事がある命題である。過去にこのテーマはいろいろなところで扱われているが、内田樹さんがそれらと違うところは、その根源的理由を日本の置かれた地政学的な位置にあるとしているところである。そして、それを「ダメなところ」としてあげるのではなく、そういうものだからこれでなんとかやっていきましょうという事実の確認をしているところである。 内田樹さんは、日本の問題を他人のせいにてしまって終わりにすることはしない。事実がそうならばそれを認めていく人である。ちょっと前に『こんな日本で良かったね』というようなタイトルのエッセイを出版されていることからわかるように、基本的に日本についてはAS/ISのまま受け入れている姿勢を内田樹さんはとる。みんなはアホで自分はそれをわかっているというような、普通の知識人がとる行動をとらない。そこがまた、この人を信頼できるところである。 一方で、日本の知識人の行為の本質をよく教えてくれる。その箇所には大いに納得した。首を縦に振って「そうだよ、そうだよ」と言ってしまったのだ。ぼくは大学教授がうようよしているところで仕事しているせいで、かれらの本質的な行動パターンを知っている。彼らは詰まるところ「おれは偉い」ということを主張しているだけなのだ。彼らはなぜ研究対象に本当に興味を持ってないのだろうかと不思議に思っていたが、その原因がこの本でわかった。彼らは頭がいいから研究者や教授になっただけだって、対象について知りたいわけでではないからだ。
私たちの国の政治家や評論家たちは政策論争において、対立者に対して「情理を尽くして、自分の政策や政治理念を理解してもらう」ということにはあまり(ほとんど)努力を向けません。それよりはまず相手を小馬鹿にしたような態度を取ろうとする。テレビの政策論議の番組を見ていると、どちらが「上位者」であるのかの「組み手争い」がしばしば実質的な政策論議よりも先行する。うっかりすると、どちらが当該論件について、より「事情通」であるか、そのポジション取り争いだけで議論が終わってしまうことさえあります。自分の方が「上位者」であることを誇示するためには、いかにもうんざりしたように相手の質問を鼻先であしらって、「問題はそんなところにあるんじゃないんだ」と議論の設定をひっくり返すことが効果的であるということをみんな知っているので、「誰がいちばん『うんざり』しているように見えるか」を競うようになる。お互いに相手の話の腰を折って、「だから」とか「あのね」とかいう「しかたなしに専門的知見を素人にもわかるように言ってあげる上位者の常套句」を挟もうとする。
自説への支持者を増やすためのいちばん正統的な方法は、「あなたが私と同じ情報を持ち、私と同じ程度の合理的推論ができるのであれば、私と同じ結論にたっするはずである」というしかたで説得することです。私と聞き手の間に原理的には知的な位階差がないという擬制をもってこないと説得という仕事は始まらない。
日本辺境論の結論は、まぁ日本はそういうところだよ、というものである。ならば、ぼくの生活も「まぁ、日本なんだからしかたないだろう」となる。が、それだとしんどい。あとはどやってかわすかである。こうなると面従腹背くらいしか手がないということかもしれない。 |
