ヒラメキを、即、行動に移そう。
やっている事が好きなのかどうかを判定する方法が書かれている。好きなことをすることは、どうやら「ご飯を食べる」ようなものらしい。つまり、「する」こと自体が喜びであって、その先にあるもの(結果)を手にすることは当面の感心の外にある。これをしているときが楽しいんだよ、ということ。 そうだと認めると、世の中かなり生きやすくなる。好きなことを実行中の人にとって、その他のことは色あせる。言葉としてネガティブであるが、一方で嫌な事も色あせるのだからポジティブとも言える。仮にやっていることが非常に面倒な作業であっても、結果的にうまくいかなくて高くついても、人から認められなくても好きな事ならやってしまう。損得というロジックがない。あるいは、不合理なことのような気がする。 好きな事をやるとはどういうことかについて、そう言われると納得できる。人から認められない、結果が出せないということをやっている人ならば頷けるだろう。不思議なものなのだ。論理的に説明しても他の人にはわかってもらえないだろう。もし、やるなと言われて止めてしまうようなものならば、「それは好きなことではないんだよ」と判断するよりない。 かなり大胆な物言いだが、ぼくはすっかり納得してしまった。ちょっと待てよ、そうかなぁ、というネガティブな感情は覚えなかった。というのは、今のぼくの生活パターンの根底を支えているのは、好きなことをやり続けるとどうなるだろうか、という疑問に対する探究だから。中谷彰宏本を三百冊近く読んでいると、いかにも中谷彰宏さんが言いそうなことを自分でも考えているから面白い。ここまでくれば、かなり学べたと思いたい。 中谷彰宏さんの主張には、「やってみる」というメッセージが必ず入っている。本の題材によっては「すぐに」とか「まずは」とか「失敗しても」とか、いろんな副詞がついてくる。しかし、根幹はDOなのである。そのメッセージの内容は否定しようがない。誰も反対しようがない。だから、安心して読んでいられるのである。そして、仮に失敗しても「勉強になった」という捕らえ方をすればいいし、そう推薦されている。やったから一歩進めたのである。そう考えるのだ。 人によってはうさんくさい物言いに見えるらしく、中谷彰宏さんに否定的な評論をする人も結構見かける。が、ぼくはそうは思わない。全く妥当なことを極端なことをは行っていないし、迷わすようなことしてもいない。宗教かどうかの「ABC判定」でいえば、救済は保証してないし、何かを信じさせようとはしていないし、仲間を増やそうとはしていない。これにより、中谷彰宏さんの著作は宗教ではない。 読んだ後に「さぁ、がんばろう」という気分がわき出るのだが、じゃぁどうやろうかなと具体的な一歩を考えると??となる。これが中谷彰宏さんの本のいいところでもあるし、限界でもある。その辺りも変わっていないようである。 タイトルに「。」があるのは変だなぁと思い、出版社をしらべたらご自身の会社であった。そうか、自社で出版するようになったのか。完全なシステムが完成している。おそるべしだ。 |
