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私にとって神とは

遠藤周作
光文社文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

 そのものずばり、である。そう、遠藤周作さんはこの対象を一体どう考えているのだろうか。興味をもったので買ってみた。

 自分で考える事をしない人の答えならば予想がつく。聖書にそう書いてあるから、とか、誰々がそう言っていたから。そういうものだろう。ぼくはこういうことを真顔で答える人に質問をしたいと思わない。どうしても聞く必要があるならば、本人からではなく情報源である聖書を読むなり、その誰々さんに聞くだろう。

 相手は遠藤周作さんである。この人ならば、考えに考えた結論が聞けるだろう。そう思ってこの本を手にした。

 ぼくは遠藤周作さんの小説『死海』という作品には強く魅かれたことがある。ずいぶんと真摯にキリスト教と向き合って、なんとも言えない苦労をしているなぁと感心した。なんだか大変な感じである。尊敬と同時に、なんでまた日本人が西洋のキリスト教を支えにして生きなければならないのだろうかな、という違和感を感じた。この違和感はおしなべてキリスト教の人に対してぼくは感じる。どうやって聖書の「おかしな」「整合性がとれてないない」「とんでも話」を心の支えにすることができるのだろうか。不思議である。

 この本では、なんでまたそんなもんを信じているんですか? そういうようなぶしつけな質問をいくつか想定し、それらに回答している。質問は著者が実際に問われたことがあるものを整理したのであろう。自問自答の本である。インタビュー記事のような形式なので、あまり込み入った回答をしてない。込み入った回答をすると読まれないし、誤解されるからかもしれない。だからだろう、この本は読みやすい。

 で、それらの回答にぼくは納得したのか。ご本人はそれなりに工夫し、それなりに自分のものにしようとしたということは理解した。西洋生まれの思想であり宗教であるものを「自分の身体に合わない洋服」と表現し、それを自分に合うように仕立て直すという形容をしているからだ。つまり、額面通りに聖書なり教義なりを自分に押し付けるのではなく、自分の経験や感覚に合う異様にどれも際解釈しているのである。それはこう考えるといいのではないですか。そういう具合にである。

 なるほどそれならばまぁぼくでも理解できる範疇だろう。が、それって、何かを信じるってそんなことをするものなんだろうかと疑問に思う。

 遠藤周作さんが受け入れられるというものに変容させているならば、信じると行為ではなく、信じられるものを信じているだけであって、なんだか話がちがう。もっというと、なるほど「信じてない」ということなのだ。 一つ疑問が解けたのは、それって信じてないってことですよね、ということだ。つまり、自分の思想にしてしまったのである。オリジナルではなく、キリスト教をベースにして遠藤周作さんの感覚にあう思想になっているのである。そして、それを信じるからカトリック教徒ですと言っている。

 ぼくが判断するに、要するに遠藤周作さんは信じてない。そうではなく、こういうことを考えると生きやすいですよというものを作り出してしまっている。

 それはそれでいいと思う。まさに日本人がずっとやってきたことだから。それに、そういう改変をしているということに少し安心したのである。

 宗教人であるが原理主義とはほど遠い生き方である。ヨーロッパ人が遠藤周作さんのような態度をとっていたならば、世界の年表にある戦争や騒動の数は大分少なかったであろうと思う。