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学問への旅

森本哲郎
佼成出版社
お勧め指数 □□□□□ (5)

 自伝風の思索エッセイ。生立ちから新聞記者、そして物書きになるまでのことが書かれている。にもかかわらず他の本と同じように思索風のエッセイになっている。まるで自分の生立ちをパリのカフェでコーヒーを飲みながら思い返しているような雰囲気である。まぎれもない森本哲郎本である。

 「ぼやっとする」という言葉は普通何も考えていないという意味だが、森本哲郎さんの場合は違う。ぼやっと=思索なのである。つまり、ある出来事をきっかけに世界を旅した記憶をたぐり、文学や哲学の言葉を引用しながらなんらかの疑問を言葉にして、それに対する答えを見出していくことを意味している。

 森本哲郎さんの場合、それをカフェで行う。タバコの煙がふわっと舞い上がるのを眺める時間の中で、頭の中では時間も空間も越えた世界が広がっていく。これが森本哲郎さんの味である。文章が上手だとかいうレベルとは違う感動がある。そんな本を読んでいると、自分でもそんなことを思索しているかのような錯覚を楽しめる。

 ぼくは読んだ本の感想をWEBにアップしているが、思えばこんなことをしているのも森本哲郎さんのような文章を生み出したいなと思ってのささやかな努力なのである。まぁ、到底見込みはないが、それでもいつの日かという思いからこうして書いている。

 森本哲郎さんの本を読んでいると単純な疑問が浮かんでくる。どうしたらこの本のような思索ができるようになるのだろうか。哲学を専攻しないとだめなんだろうか。世界を旅しないとだめなのだろうか。

 旅をすれば思索ができるわけではない。小説家、つまり、売り物になる文章を書き、想像力も十分ある人でも書けるわけではないからだ。恩田陸さんの南米紀行を読んだことがある。本人は森本哲郎さんのような思索をするつもりだったそうだが、まったくそうなっていなかった(『メガロ・マニア』)。思索本ができそうな条件をそろえてもそれで思索が生まれるわけではないようだ。

 とはいえ、森本哲郎本はどう展開するかはなんとなくわかっている。話の展開に注意してこの本を読んでみると気づくだろうが、要するに「問い」と「答え」が繰り返し立ちあられるところにある。

 思索の発端はなんでもよい。ぼんやりと浮かんだ昔の記憶でもよい。それについて「疑問」を感じることが最初の一撃である。疑問が成立しないところに思索は生じようがない。

 疑問くらい誰でも浮かぶだろう。そう考える人は疑問について考えた事がないはずだ。実際「あぁ、疑問よ出てこい」と念じても出てこない。とくに、読み物になる文章として成立させるには多くの人が共感する疑問でなければならないが、そいう疑問は「あたりまえ」のなかに隠れてしまっているもので、それを見つける方法などないからだ。それこそその作家の資質と言えるだろう。

 疑問についてあれこれ考える。考える材料は自分の体験がとっつきやすいし、具体的なので話が発散しない。だが、日々の生活から材料を集めるとすぐになくなってしまうものである。普通の人には普通のことしか起きないからで、そんなものは大抵面白くない。となれば、非日常的な生活、一番良いのは旅行であり、観光旅行よりも取材旅行や冒険旅行での思い出をたぐることだろう。森本哲郎さんは今ではとても行けないような紛争地帯にも多く旅しているから、普通の人が知りえないレベルでの考える材料をもっている。

 考えた結果を疑問に対する回答として提示する。回答するときには、自分の好き嫌いを根拠にした議論や判断はダメである。他人とは共有できないからだ。そうれではなく、文学や歴史や風土なをもとに、なるべく普遍的と思われるところまで考えてから回答を見出すことだ。そうでないと、オジサンの独りよがりになってしまうし、一歩間違うと説教に落ちてしまうから。森本哲郎さんの独自性は文学と歴史を味方につけていることにあるのだろう。

 そうやって答えを見出したとしても、それで終わりではない。一度到達した回答について「さらに」疑問を見出すのである。「もしそうならば、なぜこんなことになるのか」というように。回答が次の疑問を生じさせる。その連鎖が自然なものならば、読者は引き込まれ、抜け出せなくなる。人は論理に魅かれることはないが、疑問には魅かれるからだ。とくに「自分でもそう思う」というような疑問には必ず着いていく。

 森本哲郎さんの本は疑問と回答のペアが延々と続くが、その連鎖に無理がない。強引さがない。それどころか、途中に文学、歴史、思想史が絡んでくるので読んでいると「勉強」になった気分がする。だから感情的にも理性的にも「この本は面白い」と思ってしまうのである。結果的にいつまでも読み続けてしまう。

 考えることは誰にも出来る。が、文学、歴史、思想史、地理などを総合して頭に入っている人はほとんどいない。いわゆる学者、あるいは並の小説家では絶望的である。だから、森本哲郎さんのような本を書ける人はほとんどいないのだろう。

 疑問と回答の連鎖のパターンは時代によらず人の興味を引く。森本哲郎さんの本を読んでいて「古いなぁ」と思った事はない。たとえ話題が昔のことであっても、興味を引かれていく過程には時代は関係がない。思索(疑問と回答)、文学、歴史、思想史はそもそも過去のものだから、古くなりようがないのである。