異教徒ローマ人に語る聖書―創世記を読む
秦剛平さんの新刊ラッシュがつづいている。ちくまの文庫本はいまひとつ「おちょくり」が多いので、好きになれないでいる。おちょくりが嫌いなわけではない。信者の人に対する申し訳なさが原因なわけでもない。単におちょくりのレベルが低いと思ったからである。従来の秦剛平さんの本ならば、聖書関係の文献をネタにしておちょくるとき、聖書自身にある「どうにもならない内部矛盾」をからかっていた。だから面白かった。しかし、最近の本では、表面的な「おかしさ」を的にしているので、なんだかひく。何をそんなにあせっているのだろうか、と読者ながらに心配になってしまう。 この本ではヨセフスが中心に語られている。ヨセフスは当時のローマ人にも理解できるようにユダヤ教の聖書やユダヤ民族の考え方を語る著作があり、この本はその本の解説である。 古代ローマについてを塩野七生さんの著作を通じて知った人ならば、ヨセフスについてもいくぶん知っているところがあるだろう。ぼくはそうだ。あるいは、山本七平さんの著作をいろいろと読んできた人ならば、もうちょっといろいろ知っているだろう。さらにヨセフスを研究されている秦剛平さんの著作を読んだ人ならば、かなり知っているだろう。その流れにこの本はある。決してキリスト教向けにも、歴史の専門家向けにも書かれたものではない。 ヨセフスの本を理解する必要など、いま普通に生きてくのに必要はない。それでも読んでしまうのは、知る必要があるからではなく知っていく過程が楽しいからである。「へぇ、そんな人だったんだ」とか「古代ローマ人がユダヤ人を怪しく思った気持ちもわからんではないな」と驚くのは結構楽しい。もっといえば、過去と現代とを「混乱」させることが目的で読んでいる。過去の人、それも古代ローマの人に共感できるのは面白い。通勤電車で読んでいるぼくの世界が古代まで広がったような感じがして、それは愉快なことだから。 ヨセフスの著作はすでに古書で購入してある。この本をすらすらと読めたので、じゃぁヨセフスの本(翻訳)を読もうかとも思うが、すらすらと読めるかどうかは疑問である。というのは、気軽に楽しくヨセフスを読んだり、聖書成立の背景について知ることができるのは秦剛平さんの本だからだ。 秦剛平さんの本を読むと、ばかばかしくて聖書なんて読めるかという気分になる。それはそうだ、あれだけ聖書の矛盾やおかしなところをおちょくっているものを読んだ後で、さすがにその対象を時間をかけて読む気はしな。 それだけ秦剛平さんの本は面白いのだけど、ふと考えるとその目的は一体何なのか気ににある。自分の専門分野の普及を目指しているのか、それとも馬鹿馬鹿しいことをばらして寂れていくことを目指しているのか。なんともわからない。結構矛盾した人なんだろうなぁと想像するが、実際のところどうなんだろう。 |
