本当は不気味で恐ろしい自分探し
書名をもとに選んだ本なのだけど、自分探しについてのあれこれが書かれているわけではなく、雑誌掲載の原稿をまとめて編まれた一冊で、内容はエッセイと短い小説を束ねたものであった。エッセイの内容は、面白いものもあるけど、思弁的過ぎるものも多くて、全体的にいまひとつピントこなかった。毎回のエッセイに関係がある短い小説は、習作のようなものであり、もうひとつ面白くない。 とはいえ、とても気に入った一片があった。この中で読む価値が一番高い。それは最後の一片である。「空虚なわたし」というタイトルのエッセイである。何冊もの著作がある著者が文章を書かこうとして書けなかったころの体験が綴られている。学生時代、社会人になってからも、文書で表現したいと思っていながら全く書けないでいたそうだ。もちろん、学業や業務に必要だった報告なり論文なりは書けたということだが、自分の頭のなかにある衝動を「表現」するということはできなかったそうなのだ。 一般的に言って、文章を達者に使える人は子供の頃からなにかしら書く訓練しているもので、大人になってから始めても遅く、そういう人は文章を書けるにようにはならないものだ。そう諦めかけていたぼくには朗報だったのだ。 何がきっかけで書けるようになったのか。それは「片意地はらないこと」にしてからだそうだ。自分が書くものは「優れたもの」「完璧なもの」でなければと思っていたそうで、そう思っているうちは何もかけなかったとか。そんなものを目指していから書けないのであって、文章によって何かを完全に表現することは無理だと認めていなかった。ところが文章には相手がいて、言葉が書かれていない余白などは相手が埋めることで表現が伝わることもあることを理解してから、気負いがなくなって書けるようになったそうである。手始めに、現在の仕事場の風景描写からスタートしたようである。 なるほど。大いに勉強になる。想像力で面白い話をつくることは相当難しい。普通の人であるぼくに、そういうことは、まぁ無理だろう。だから気負いしないで、できることを淡々とやってみるよりない。こんどは今まで以上に気楽に文章を書いてみるとするか。 |
