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新・井沢式日本史集中講座―鎌倉新仏教編

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□□ (5)

 徳間書店のこのシリーズは講演をまとめたものなのか、全体に渡って重複が見られる。重複しているところこそ重要なところであり、何度も何度も強調するという意図があるのかもしれないが、その方法は講演ならば普通のことだけど、文章としては感心できない。もっと編集すればいいのに、と感じてしまう。もっとも編集が入っていないはずもないから、読む人への配慮ということだろう。本書に問題はない。むしろ素晴らしい本である。

 日本仏教について。南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違いがさっぱりした。阿弥陀が救ってくれるということを信じるかどうか、これを軸に話が展開されているのが日本でメジャー仏教ということになる。それだけを引き合いに出すと、確かに仏教である。しかも真宗になると、なんもしなくても救ってくれることになる。こうなると、生活の行動を正すという昨日が宗教に全くなくなってしまう。

 最初厳しかったことが時代を下るにつれて「解釈を拡大し、楽な方へと流れていく」ことは当然なのかもしれないが、正直、その結果をぼくがお金と時間をかけて崇めといわれても無理である。海外に行ったとき、religion:buddismとは書けんと思った。もっとも、自分が参加するかどうかは別として部派仏教や禅くらいならば宗教の面影があるが、浄土系や日蓮系がどうして「仏教」なんだろうか。

 もうひとつ、日蓮のほうはといえば、これ新興宗教だということがよくわかった。もう数百年たったから新興ではないけれど、それでも「トンデモ」であることは「読めば」わかる。なるほどイワシの頭も、と言われる宗教の世界の怖さを感じる。これも、どうして「仏教」の仲間だとはとうてい思えない。現在でも日蓮系の人はいるが、関わらない方がいいということは宗教の教義の面からも納得できた。

 釈迦のことについては一般向けの本を何冊か読んだけれど、その内容と現在の日本の仏教との「直接」の繋がりはないと言えそうだ。日本の仏教は、仏教の「サイドストーリー」なんだろうな。もちろんぼくは市井の人に過ぎないから、仏教とは、なんて語る事はできないのだけど、そんなぼくでも「インチキだよなぁ」ということを見抜くことはできる。釈迦の考え方をもとにした行動をとる人は宗教家ではない。懸命に努力している人だ。そういうことに情熱をもっている人は、それに共感できるかどうかは別として、どの時代のどの世界の人も尊敬することは可能だろう。考えは宗教ではなく、思想や哲学である。一方で、日本仏教はそれとは関係ない「宗教」である。まったく、ABCテストをパスしているところが、恥ずかしい限り。

 井沢式は「因果」を遡っていく態度がとても鮮明で、「どうしてなんだろうか」という問いがわかりやすく、時間をかけて回答される。だから読むかいがある。結局のところ「おれは偉い」を主張されたい大学の人とは全く違う。日本史の教科書として、きっとこれが残っていくだろうなという予感がする。