身体の文学史
養老孟司さんの本が好きで、読んでいない本を見つけたら即購入する。養老孟司さんといえば『バカの壁』で世間の認知度が上がった。だが、ぼくとしては『唯脳論』の人である。『唯脳論』には大学時代に「なるほどなぁ」といたく感心し、それ以来ずっと養老孟司さんの本(といっても一般向けのエッセイばかりだが)は読んでいる。僕の本棚には120冊以上並んでいる。 養老孟司さんの本はベストセラー作家になる前からたくさんあったし、近年は出せば売れるからだろうがゾクゾクと出版されていたので、定期的に新刊を楽しめていたが、最近はめっきりと出版数が少なくなり、新刊に出会えるチャンスは貴重になってしまった。だから昔に読んだはずだよな、という本でも新刊ならば買ってしまう。新刊が文庫化されただけでも買ってしまう。実にばかげているとは思うが、もはや趣味なので許されるだろう。そういう人、結構いると思う。 この本は文学、それも三島由紀夫について語ることが目的のようだ。いきなりミシマについて語るのはなく、歴史にそってミシマに至る方法。時間の流れの主軸は「身体」である。いかにも養老孟司さん風の文学史。 江戸期以後の日本文学史をなぞるだけでも、知識人の脳裏から「身体」が消えて意識がでしゃばってくる「都市化」の影響をうかがい知ることができる。なるほど。そう頷きたいところが、実際問題本書の内容はそれなりに日本文学への興味がないと取っつき難い。しかも、少々高級な内容になっているので、正直ぼくにはピンと来ないことろだらけであった。この本は、養老孟司さんがまだ一般向けの本をあまり出していない頃のものである。だから、かなり面倒なロジックを使い、それについてこれるレベルの人に向けて書かれているから仕方ないのかもしれない。 言いたい事は想像できるし(本当か?)、問題意識のポイントも予測がつく(正しいか?)が、だからいってストレートには「なるほど」とは言えない、なんとも自分の教養のなさを自覚させられる本である。読んで少し自分にがっかりした。 |
