捨てちゃえ、捨てちゃえ
タイトルからして仏教の本、内容もうっすら透けて見える。これまでにひろさちやさんの著作を何冊か読んでいて、お気に入りになっており、さらに新刊だからということで購入してみた。ほっとした境地が得られるかもしれない。 「捨てちゃう」対象は、世間であり、世間からみた自分であり、世間から刷り込まれた自分像、ということのようだ。そういうのは簡単だが「実際問題そんなのできるか」と言ってしまうような悟りの勧めではない。「これなら俺でもできるな」と思える気づき、考え方の変化のきっかけが書かれているだけである。とはいえ、いくつかのトピックには「ちょっとステレオタイプな味方だよなぁ」と感じてしまう説話もあるが、折りにつけ読んでみる本として良いものだろう。人生の楽しみを探すヒントになると思う。 よい話だなぁと思ったのは、宗教というものの考え方についてである。 (略)信者になったら金もうけができるとか、入信すれば病気が治るというのは、どうもインチキくさい。ただし、わたしは、信者になっても金儲けできない、病気も治らないと言っているのではない。それらのことはあるかもしれないが、それが宗教の本当の存在理由だとは思えないのである。本物の宗教は、貧しい人は貧しいまま、病気の人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。少なくともわたしは、宗教をそういうものだと思っている。 なるほど、と頷く。このような考え方はある程度生きてこないと実感が湧かないだろうし、若い人はこれを認めないだろう。思い通りにならないことと対決しそうな気がする。それでうまくいかないと理不尽さを嘆くような気がする。 しかし、さすがに不惑の歳にもなれば、そりゃそうだよな理不尽さというものを受け入れられる土壌が心に準備されるようで、ぼくにも不条理の不条理さというもの嫌悪感を感じなくなりつつある。もっとも、それは想像のなかの不条理感であって、リアルな不条理感についてはまだむりだろうけど。 ひろさちやさんの本を読むと落ち着く。ただ、それでいいと思う反面、少しは工夫して乗り切ろうという気持ちも残っている。まだぼくにも未来を語る余地は残っているようだ。 |
