美術で読み解く 旧約聖書の真実
『新約編』を読んだが、もうひとつの感があったこともあり、この本は読まないできた。ところがamazonでぶらぶらしていたとき、購入履歴から計算される「お勧め」にこの本が混じる頻度があがり、なにかと目に付くようになった。まだ読んでいない本は沢山あるのだが、秦剛平先生の本が読みたいなぁという気分になったこともあり、高価な文庫本だけど購入してしまった。適切な広告をちらちら(目立たないように)出すことは、かなり効果がある、と実感した。アマゾンの勝ちである。 「新約聖書の真実」なんてほどの内容ではないし、美術の解説になっていないような気がする。その展は「新約編」と同じ。だから面白くない、というのではない。単に、内容は秦先生の本だなぁという感想であり、先生の(いつもの?)論点を強調するために、視覚的な証拠として絵をつかわれている、という本だ。 ある時代よりも昔の西洋絵画の主題は、ギリシャ神話かキリスト教かになるはずで、その意味で言えば、ある時代よりも昔の美術を解説するには、必然的にキリスト教の解説になるだろう。この場合のキリスト教は新約・旧約を含めたものになるので、どんな美術史家の解説であっても結果的に秦先生と同じことをするはずである。そういう本とこの本との違いは、秦先生の専門ならではの「体系知」に基づいた解説にある。どんな主題をつっついても、関係する別の箇所についての言及や、だいたい似た物語について挙げてくれている。聖書の中を自在に飛び回る自由さを楽しめる反面、ヨーロッパ文明を規定しているものは、こういう物語を束ねたものでしかないことに気づき、あらためて驚く。 秦剛平先生の本を読むのはとても愉快なのだが、読めば読むほどその対象である聖書そのものには興味が持てなくなる。もはや聖書そのものには興味がないところまあできている。いろんな事、とくに物理や工学、心理学や歴史などをそれなりに知ってしまった状態で聖書を読むのはそもそもからしてつまらないのは仕方ない。ネタバレしたあとのミステリーを読むようなものだから。聖書は2000年前の時代の人々の心情にマッチしたものであって、現代の東洋に住むぼくにはどうでもいいや、という感想をもつのは、かなり当然のことであろうと思っている。 だから不思議なのである。一体秦先生は何を目的として講義をしているのだろうか。 |
