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知をみがく言葉

ウイリアム・レイ編
青志社
お勧め指数 □□□□■ (4)

 レオナルド・ダ・ビンチは偉大な人だったんだ、と今更何をという気は百も承知でそう確認してしまった。彼の言葉の断片的を彼のノートから抜き出して並べた本なのだが、ただそれだけなのに、感心しながら読んでしまった。言葉の意味することは「極めてまっとう」なのに驚いた。こういう本は商売上の工夫として、意外な言葉や過激な言葉が並ぶもの。当たり前のことを言っても商品として面白くないから売れないもので、それはオッサンの説教のようなものをわざわざ買う人がいないから。ところがダ・ビンチのことはだれでも受け入れやすい。

 ダ・ビンチの考える方法は、現在の世の中でだれもがまぁそうだろうと合意するような「合理的」ものだということだ。観察して、考えて、結論づける。その行動が極めて合理的。普通の人がダ・ビンチの行動を「合理的だな」と見なすとしたら、ダ・ビンチは現代では異端児ではなし、とんでもない発想する天才でもないといえる。見方を変えれば、現在の日本は、ダ・ビンチの影響が血肉化した社会と言えるのかもしれない。もっとも人々の行動はケースバイケースで変わるだろうけど、表面上は合理性を否定する社会ではないだろう。

 ダ・ビンチが肌身離さず抱えていたノートには、自分の本心が書かれているようだ。それを読むに、この人は「単に知りたいのだなぁ」という気分が伝わってくる。後世の世界で生活する自分はいろいろなところで勉強する機会があり、誰かによって大抵の知識は体系化されている。だから、疑問や気づきから観察して何かを掴み取るという素朴な行為に接する機会は少ない。すでに体系化された知識の末端をさらに掘り進めるようなことしか実際にはなされないので、独力で探していく行為にうらやましさを感じてしまう。