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ぼくの旅の手帖

森本哲郎
ダイヤモンド社
お勧め指数 □□□□□ (5)

 この本の装幀はとても良い。手触り感の暖かい和紙がふんだんに使われ、同じ紙質のしおりがはさんである。今どき珍しい箱入りのエッセイ集。古本で購入した。30年前の本のようだ。今ではもう出版されていないタイプの本だろう。

 安野光雅さんや永沢まことさんような印象の挿し絵がついている。ダイヤモンド社はビジネス書しか出版しないのかと思っていたが、昔は「良い本」を出版していたようだ。ちょっとした発見。

 この本の内容自体は、森本哲郎さんの作品集で読んだことがある。だが、この本の方がずっと良い気分でエッセイを味わえる。

 本あるいは文章を情報として扱うだけならば装幀なんてどうでもいいと考えるのも無理はない。しかし、本を読む行為の目的にアートにたいする憧れがあるならば、つまり、気持ちを揺さぶるかどうかを目的としているならば、装幀は大切だろう。本を読むときに直接触るの「紙」だし、紙質は手触りだけでなく常に見えているものだから。

 コンピュータなどの電子媒体で本を読もうとする人は、作品というものを「情報」としてしか考えていないのだろう。映画をYouTubeでみて事足りると「信じている」ような人みたいに。

 昔は旅に出るという感覚が大分ちがっていたようだ。よく、世界を股にかけるという表現があるが、それはスーツケース片手に商用で世界各国に出張する商社マンに当てはまる。そういう人と森本哲郎さんとはまったく別のタイプの人。もっとも森本哲郎さんが世界各地を出掛けるようになった要因は、新聞記者として「記事」を書くためだったらしい。しかしその後の放浪癖は仕事としてではなく、漂白の想いに誘われているとしか思えない。中東やサハラの砂漠、世界名作文学の舞台や世界史の中でのビックイベントが起きた現場に佇み、思索ことなどは、ぼくのような学もチャンスもない人からみれると夢そのものである。ため息をつくよりない。

 そんな森本哲郎さんの行動のなかで唯一マネできそうなのは、外国にでかけ街中のカフェでお茶を飲むことである。タバコを吸わないぼくとしては、そんなことをしても間が持たないのだが。

 実際にカフェで時間をつぶす機会は何度もあるのだが、なかなかカフェでお茶を飲むことはしない。なんだかこっぱずあしいし、高そうだし、ぼくみたいな言葉も不自由な人はウェーターさんに相手にされないか、カモられるかのどっちかのような気がする。それでも楽しく時間を過ごす事ができたカフェでお茶を飲んだ経験は、今でも宝の物のように輝いている思い出になっている。

 英語とフランス語が話せるといいだろうなと思う。あるいはイタリア語。どんなとこおでも言葉の不安なしに旅したいよ、ホント。あるいは中東もいいし、北アフリカもいいな。夢だけは広がっていく。

 それが実現できるかどうかはどうでもよく、たんに旅情をかき立てられるような本、ぼくにとっては宝物である。それはいつも森本哲郎さんの本なんだけど。