« 賢帝の世紀 | メイン | 日本辺境論 »

日本人へ リーダ篇

塩野七生
文春新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

 出張中の休日、砂漠のなかにあるホテルではやることがないだろう。そんなときに読もうと思って、この本を持ってきていた。

 塩野作品のなかでもエッセーはわりと好き。ただ、このエッセーは週刊誌に掲載されていたもので、どちらかといえば時事問題というか、まぁ日本の政治について語っていることが多い。

 塩野作品を読んでいれば、塩野七生さんが政治好きなことはわかるし、塩野さんがもし男性だったらきっと政治家を目指していただろうなと思うので、エッセイで政治について多く言及したくなる気分はわかる。

 ただ、政治には興味がないぼくにはもうひとつピンと来なかった。『ローマの窓から』と同じテーストのエッセイ集になっている。

 もちろんこのエッセイも塩野作品なので、このエッセイの口振りは凄みがある。なるほど塩野作品の一つの味がはっきりとするなぁとあらためて感心する。

 ぼくといえば、政治に興味がない。なぜなら、自分じゃなんもできんから。つまり、政治の実態については「可観測でもなく、可制御でもない」のだから無関係だろうと思っている。だから本質的に興味がわかない。

 というより、興味をなくそうとしているといったほうが正しい。最近は新聞どころかウェッブニュースすら見ないようにしている。

 そういう情報を読んでも結果的になにもできないならば、要するに時間の無駄だろう。

 そんなこだから、ニュースはもっぱら通勤電車内の週刊誌の縦吊り広告か、昼食時の同僚からの話で情報を仕入れるだけになっている。

 そんな程度の人がこの本を読んでなにを考えるか。

 この本は「リーダー篇」ということだから、リーダー(あるいはリーダーになりそうな人)に向けての発言なんだろう。

 リーダ役をやる人って、数が多くない。そりゃそうだ。みんながリーダーじゃ、ことが運ぶわけがない。船頭は一人だからいい。

 となると、リーダについてわざわざメディアで訴えるよりも、直接その筋の人と話し合った方がいいのではないかと思ったりする。実際、塩野七生さんはそうしているのだろうけど。

 プロ野球中継では解説者がいろいろ語る。その内容を聞き流すならば問題はないが、こっと真剣に考えるとすぐに疑問がわくだろう。あれっていったいなんの意味があるんだろうか。

 「それって、選手に言わんと意味がないでしょ」というようなことを、ビールを野みなから枝豆食ってる人に切に訴えても仕方ないのに。

 政治指導者へ向けたエッセイは、ある種の床屋談義になってしまうような気がする。

 塩野七生さんの著作にあったが、色々意見を後方しても、それらを実行するための手段がないと、「武器を持たない予言者」と同じになってしまうのではない。それに、思った通りに社会が動かないとイライラも募るだろうから、あまりいいことはない。 

 そうぼくは考えるのだけど、こう考えるのは「国を滅ぼす愚か者」の考えることだ、と言われるような気はする。そうは納得できるものではないが。

 メディアが適当に(あるいは故意に)粉飾した物語を新聞なりテレビなりから仕入れて、それを「事実」として自分の行動を決めるのは愚かなことである。

 しかし、一方で、社会の動きを全く無視しながら生きてくのも危険である。一体どうしたらいいのか。

 この本を読んだからといって答えがでるわけではない。ほっておくか。