通勤電車で過ごす時間を本読みに充てているので、年間結構な冊数を読めるのだが、「こんな本を読めてホントに良かったなぁ」と思える本とである機会は思ったほど多くない。
いいなぁ、面白かったなぁと感じることはよくある。
だからこそ通勤時間が2時間半近くかかっても全く苦にはならない。
だからといって、感動して涙がでてしまうようは本などそうそう読めることはない。
ホント、メッタにないもんだ。
ところがこの本は、本読みであることを「実感」させれてくれるものだった。
読みながら涙がじわっと出てしまって、それを堪えるのに苦労した。
初老の男が本に感動して涙を流している。
そんな光景、傍から見て気持ちいいものではないだろう。
OLなどは隣の車両へ移るかもしれない。
が、まぁ、誰もこちらには関心など持っていないから特段気にする必要などないのだが。
この本では、著者が父親の介護をした体験が、過ぎ去った昭和の幻影とともに語られている。
一般的な意味では物語といえば、「そういう目にあってみたい」と思わせるものを題材にとるものだ。
が、この本では「そういう目にあってみたい」とは言えない題材を、しかも「絶対にあってみたくもない」とは思わせないように書かれている。
読んでみて、介護をするとはどういうことかの一例を教えてくれ、自分に生きているうえで必要なことの一つを悟らせてくれる。
この本の目指していることは説教ではないし、道徳でもない。
ただ、「自分がそんな状況に置かれたらどう行動するのだろうか」について自然と考えさせてくれるのだ。
介護の問題に、もちろん回答はない。
著者である平川さんのとった行動は回答の一つではある。
が、それを直接自分当てはめることなどできないし、そんなことを著者が想定しても期待してもいないだろう。
「はて、自分はどうするのだろうか」
そんな答えのない問題を自然に考えてみたらどうだろうか、という年長者からのアドバイスなのだと思う。
幸いにして、ぼくの両親は健在である。
が、いずれ平川さんような状況になるのはわかっている。
だから心の端っこにいつも恐怖であり嫌なことである「介護」がある。
この本を読むことで、そのことを正面に引っ張りだされた感がある。
本当に、どうするのだろうか、ぼくの場合は。
あらかじめ「答え」を出しておく必要は、必ずしもないのだろう。
その状況になれば、それなりに「適切」な行動を取れるはずだと、どこか自分を信頼している。
パニックにさえならければ、なんとかなるはずだから。
この本を読んでみて、介護に対して教訓めいたものやマニュアルめいたものを獲得した、というわけではない。
ただ、介護の場面に置かれたら、「そうか、ついにきたか。でも、2回目だよね」という気分にはなるだろう。
地震だって、突然魘われるのと緊急地震速報を受け手から遭遇するのでは、パニック度が全くちがう。
経験しているということは、心理的な意味ででしかないから、どれだけ状況にうまく対処できるかはわからない。
それでも、と思う。
せん妄ひとつとっても、手術一つともっても、それがどういう結果になりうるのかの「特解」を一つ持っている。
それは意外なほどに「自分にとって勇気をださせてくれる」はずだ。
本を読むのは、やっぱりいいことだ。
そんなことを再確認した。