僕はいかにして指揮者になったのか
指揮者の話といえば、ずいぶんと昔に読んだ小沢征爾さんの『ボクの音楽武者修行』のことを思い出すことしかできないでいる。 書店で見かけたから。 若い頃に業績を得た人は「おれはスゴイ」という主張をいろんな形でするもので、それが場合によっては嫌みになり、人格にアクを付けしまうものである。 そう思いながら読んでいて思ったこと。 本文中で面白かったのは、登場する人物の会話が関西弁であること。 |
指揮者の話といえば、ずいぶんと昔に読んだ小沢征爾さんの『ボクの音楽武者修行』のことを思い出すことしかできないでいる。 書店で見かけたから。 若い頃に業績を得た人は「おれはスゴイ」という主張をいろんな形でするもので、それが場合によっては嫌みになり、人格にアクを付けしまうものである。 そう思いながら読んでいて思ったこと。 本文中で面白かったのは、登場する人物の会話が関西弁であること。 |
この3部作はすばらしい。本っていいなぁ。そうつくづく思った。あまりに良いので、「人生って素晴らしい」とすら感じた。 この内容が「小説」だとしたら著者の構想力はスゴイレベルだと思うが、巻末の著者略歴を読むに、要するに自分の青春時代の報告がベースになっているのだろう。本当にこんなことがあったのかどうかはわからない。出来事のタイミングが良すぎるところなどは物語として工夫していあるのだろう。それでも、大きな出来事は体験ベースなんだろうなと感じる。 記述のところどころに未来の視点から語られているところがある。その語りにはある種の諦観があり、そしてそれが不安感を煽る結果となる。須賀敦子さんの本にあるエッセイはどれも最後に「不安」にぶち当たるのだけど、それと同じような性質をもっているようだ。だからぼくはこの本に魅かれたのかも知れない。 未来は不安である。そう思っているからこそ、未来の不安を予感させる語りに魅かれるのかもしれない。しかし、同時に、未来にカタストロフがあるわけではないと感じている。なぜなら、未来の視点で語っている人がいるということは、その人はなんとか生きてこれ、過去を語る余裕があるわけだから。不安の結果に不幸が待っているわけでもなさそうだ。ただし、そこには必ずしも「すっごく幸せ」という感情はないかもしれない。が、ごく普通の人の幸せというものを楽しむ時間はありそうだ。 この物語もそうなっている。1巻を読んだとき、その青春っぽさに魅了され、2巻を読んだのである。普通の人には持てない体験がつづくのかなと思って。ところがビックリして(でないと物語にならないが)、不安のまま3巻に進んだ。そして、そこには、大多数の人の実情とあまり変わらない人生の報告が待っている。ぼくはそう感じた。。いや、それは著者の経歴を侮っているのではなく、見事にこの本の物語が着地したことへの安堵であり、ぼくは納得したということである。見事に物語が閉じた。 この本を振り返って、まるで自分が目撃したようなイメージが残っているものは、南という女性のまなざしである。ある場面での一瞬の出来事。不安、恐れと同時に懇願とそして諦めと最後に振り絞った勇気とが混じった視線である。これでこの物語は決まったのである。こんな面白い本ならば、誰かが映像化するだろう。2夜連続ドラマのようなもので。その際、このシーンだけは外さないで欲しいなぁと漠然と思う。まぁ、そのドラマは見ないだろうけど。 かりにこの話が実体験ベースであったとしたら、著者が40過ぎまで生きてくるのは結構タフだったことだろう。しかし、なんとか人を感動させる小説を書くまでに至ることができた。いくつか小説を書いた後に、この小説を世に出した。著者の経験は多くの人の頭の中に入り込み、その人たちが生きることを鼓舞するものになったはずである。一個人の青春時代の体験が日本語が理解できる人に共有され、それが人々の財産になったのである。 この話が実話に基づいているって思いたい。実際のところは知りえないので、もう実話だったということにしてしまおう。そう信じてしまうと、本っていいなぁと思う。ぼくには何の関係もない人の個人的な体験なのだけど、それを通り抜けた後に思うのは、素晴らしき哉人生は、である。ぼくはこういう本をもっと読みたい。 |
チェリストの話だというので読んでみた。帯には豊崎由美さんが『一瞬の風になれ』と『のだめ』を引き合いに出してこの本を推薦している。だぶん面白いのだろう。この本はミステリーチャンネルの月刊ブックナビという番組内で紹介で知った。知らなかったら店頭で目に止まらなかったかもしれない。本の紹介という好意は、その本の販売を促進していることは間違いないようだな、と自分の行動を観察して納得した。 ぼくはいいオッサンになる。だから、こういう本を読んでいていいのだろうか、それで楽しんでいていいのだろうかとフッと我に返ることがある。なにやっているんだろうと。もっと、今後の自分に関わるようなことを読んだ方がいいのではないか。そんな焦りのようなものも感じる。 |
ミステリーチャンネルの番組「ブックナビ」で紹介されていた。ぼくは高校生もの、青春ものは苦手なのだが、「ミステリー」だというので読んだ。消極的な気持ちで読みはじめたのだけど、読み終わったときの評価はびっくりするよい作品。大森望さん豊崎由美さんの推薦は信用できる。さすがだ、と感心した。 高校生が主人公の話は、恋愛ものであり成長モノである。切ない気分になる話を読んで不愉快になることはないが、だからといってそういうお話を「読む必要」はないだろう。そういう気分になることが好きかどうかの問題である。 とはいえ、久々に「面白い」と思う小説に出会った。なんとなく続編も期待できそうだ。今年はいい年になりそうだ。 |
以前、朝カルの講義でちょっとだけだが赤毛のアンについて茂木健一郎先生が講義したことがある。赤毛のアンのファンなのだそうだ。ぼくも赤毛のアンは子供の頃から好きだったので、内容はほぼ覚えている。ただし、アニメを通じて知ったので、アンは山田栄子の声でしかないのだが。 通勤の乗り換え駅にある本屋に立ち寄った際、この本が平積みされていた。新刊は大抵平積みなるが、この本だけが残り数冊だったので平済みコーナーに穴が空いているで、この本がずばぬけて売れていることが分かった。というわけで帰宅途中に読み始めた。 「道の曲がり角」についての解釈。これが、この本の最後の方で紹介されている。なぜ、道を曲がるのか。というか、なぜ曲がってしまうのか。茂木健一郎先生の指摘は、なるほどと思えるものだった。 茂木健一郎先生は、人気がでたために変な本が沢山でるようになってしまったが、それでもたまにこういうちゃんとしたものが出版されるところに救いを感じている。赤毛のアンについてどんな本がこれまで出版されてきたのか、文芸研究についてはとんと明るくないのでなんとも言えない。が、それを知らなくとも、この本は単体として「素晴らしきガイド」であろうと自信を持っていえる。ただし、この本は赤毛のアンを知っている人に向けた本である。知らない人が読んで、果たしてどこまで意味をなすのか、ぼくはわからない。たぶん、もったいないことになるだろう。だから、このガイド本を読む前に、本編を読む必要があるという、実に不思議なガイド本である。さて、原作をもう一度読む返して見ようか、それとも村岡花子訳ではないほうをよんでみるか。人生に置いて、なんど読んでも良い本は、結局子供の時に出会っているのであろう。子供の時の読書って、大切なものなんだなとしみじみ感じた。 |
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万城目学 『鴨川ホルモー』があまりにも面白かったので期待して購入。正解でした。電車のなかで読んでいて吹き出すことはありませんが、でも風景としてはこちらの方が出来がよい。いくつまでもこの心象風景の世界を維持してほしいですね。 言ってみればファンタジーです。ベースは『ぼっちゃん』。でも内容はマキメさんの世界。決して現実味がある話の進行ではないのだけれど、なぜか魅かれます。その理由は、『ホルモー』のときと同じように話が進行する場所の描写にあるのでしょう。リアルというか、現場を良く知っているというか、「そう、確かにそこにジャスコあるよ」ということを突っ込みたくなる記述がちらほら見受けられます。これが現実の奈良の町にリアリズムがないものであれば、つまり、「別に奈良の町でなくてもいい」といえるような表現だたら、全体がファンタジーとなってとても「ぬるい」作品になってしまう。現実と想像とのコントラストをきっちりつけることが面白いのでしょう。 もっと読みたいですね。はやく次の作品がでないものか。 |
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万城目学 物語として面白いけど、学園ものといえば学園モノといってよいでしょう、多分。タイトルが興味深い。「ホルモー」ってなんだろうか。そのあたりを万城目さんも心得ていて、この本を読ませる方向へと引きずり込んでいきます。主人公の語りで話がすすみます。一風変わった「勝負」や学園モノにつきものの恋愛記述があったりと、とっぴなところはないのですが、まぁ読んじゃう。アニメにはしやすいですね。ドラマには向かないでしょう。京都中心の話なので、市内の様子はランドマークになる場所を知っているならば、より楽しめる。 ただ、読んで何が得られるのか、と言われると・・・。楽しい時間ということでしょうか。 |