聖母マリア崇拝の謎
ヨーロッパの街中を歩いていると聖母マリア像やら祠やらに出くわす。狭い路地の角にあったり、通り沿いの家の壁に付いていたりする。それらの像は幼子を抱いているものが多いが、なかにはマリア像だけのもものある。 考えてみれば、大抵のイコンはマリアさんである。幼子を抱いていても、イコン上での大きさはマリアさんのほうが大きく描かれており、幼子はそのアトリビュートでしかない。おそらく、実際のところも聖母に人気があるのだろう。 聖母を崇める習慣は、たぶんキリスト教のオリジナルにはない。だって、キリスト教というくらいなのだから。それでも、実際のところは「聖母」の方にお願いする人が多い。なぜなんだろう。 そのあたりを教えてくれる本はなかなかないもので、これまで山本七平さんや遠藤周作さんや秦剛平さんの本を読んでみたが、もうひとつはっきりしない。あまり触れられてなかった。きっと、大した問題ではない、ということなのかもしれない。 そんな知識量でこの本を読んで見たところ、かなりマリア問題が見えるようになってきた。なるほど、昔からそういうことが議論されてきたのだ。現在はアタナシウス派の見解が首領だが、アリウス派とかネストリウス派といった「論理的に考えれば、そうだろう」という主張は過去に異端として葬られているのだ。 アタナシウス派だから、キリストを崇めてもゴッドを崇めても「同じ事」なんだけど、それでもマリアを崇めても「同じ事」という見解にはまだ達していないはずである。マリアを信仰している人は、大きな意味ではキリスト教ではないのかもしれない。結局のところ、信じているのは「母」のようなものである。 母親をもっとも身近な守り神と見なすのは、人類としてはしごく全うなことである。マリアさんを崇める気持ちは、なんてことはない母親を求めている気持ちと同じだから、あえて宗教という言葉を使う必要もない感情からきている行動なのだろう。 幼子を抱えるマリア像の原形のようなものが、古代エジプトの神であったイシスにもみられる。これが「マリア信仰の原点だ」ということではないく、世界中どこにでも当たり前なものなのかもしれない。 そんなことを読みながら考えた。となると、今度ヨーロッパを旅したときマリア像の前にいったらしげしげと眺めてみたい。キリスト教の習慣に対する奇異の目ではなく、なんだかどこも同じだねという気分で。 |











