期間限定の思想「おじさん」的思考2
ここにきて文庫本化されたようで、手に取るまで楽しみにしていた。 なぜ、運動部では先輩が後輩をしごくのか。 なぜ、一流企業の女子職員は可愛いのか。 それが正解なのか不正か、一律に言えるものではないだろうが、多分に上記のような要素は含まれている。 誰も語ってはくれないこういう話を読むのがぼくは好きなので、昼ごはんに出かけるときもポケットに忍ばせて、配膳されるまで読んでいた。 |
ここにきて文庫本化されたようで、手に取るまで楽しみにしていた。 なぜ、運動部では先輩が後輩をしごくのか。 なぜ、一流企業の女子職員は可愛いのか。 それが正解なのか不正か、一律に言えるものではないだろうが、多分に上記のような要素は含まれている。 誰も語ってはくれないこういう話を読むのがぼくは好きなので、昼ごはんに出かけるときもポケットに忍ばせて、配膳されるまで読んでいた。 |
不思議なこと。 この本を読むのは2回で、最初読んだときはあまり期待していなかったのだけど、意外に面白くて一気読みしてしまった。 短いものなら、プロでなくても面白いものを書けるわけだ。 はやく続編がでないかな。 |
もうだいぶ昔に読んだ本なのだけど、10月にローマへいくこともあるし、海外移動中の機内では塩野七生さんの本を読むことに決めているので、今回はこれを鞄に入れていった。 おとなという言葉がふさわしいの頃の写真が載っている。 対談を中心にした本で、内容は「ふむふむ」という感じで「学ぶ」ようなことを扱っているのではなく、おとなの二人がお茶をしながら、あるいは食事をしながら語る内容とはこういうものなのかなと関心したわけである。 現在ではすっかりと「出家」してしまったかのような内容を語ってくれる五木寛之さんが、レーシングカーのことをあつく語ったり、イタリアの靴についてご自身の経験を教えてくれるのだが、そこに違和感をもって楽しめた。 いずれの趣味も、先生となる人かあるいは長い時間をかけた試行錯誤がないと身に付かないだろう。 すっかりと勉強になってしまった。 うん、無理だわ。 なるほど日本のおじさんはかっこわるいわけだよ。
|
嘘のような本当の話を一般の人から募集し、高橋源一郎さんと内田樹さんが選定した面白い話の本。
|
震災当初から落ち着きがなく、いつも悪い方向へ事態が行こうすることを恐れていたぼくにとって、ギャグなんて読む余裕はなかった。 そのツイートが本になったそうである。 人の気分はその人の置かれた状況を色濃く反映するもの。 震災後のデーブ・スペクターさんのツィートは、地味でしょうもないことも多いし、時事問題としての政権批判も多いのだが、考える方向にヨワクを作ってくれていた。 サバイバル時の生き方のコツを一つ教えてもらったようなもので、デーブ・スペクターさんには感謝している。
|
| ||
奥さんが中学生のころによく読んでいたという遠藤周作のエッセイを読んでみたくなったので、ブックオフで買ってみた。 女性雑誌に連載されていたもので、なんだかどうでもいいような内容が書かれている。 水のような文章である。 |
養老孟司さんの名前を見つけた。 講師は養老孟司さん、橋本治さん、杉浦日向子さんなどなど。 しかし感想は「もうちょっと」。 |
松丸本舗という特徴のある書店の書棚にぽつんとこの本がおいてあった。 一読して、なるほど。 こういう非論理的な読み方ができれば、この本は面白い。 この本の写真で「いいなぁ」と思ったものが一枚あった。 こういう本をいくら覗いても、写真は上手になれない。 |
読みごたえのある二冊。 とはいえ、解説文ではない。 どういうわけか最近になって高峰秀子さんのファンになってしまった。 アマゾンで「高峰秀子」で検索結果がリストアップされる本の数は多くない。 文章は平易。 女優さんなのに、どうしてこういう本が書けるのだろうか。 文章が上手になりたい。 よし、ぼくの努力も無駄ではないかも。 人生として成功する反面があれば、楽しい生活から遠くなることもある。 |
なんだか不思議な本だった。村上春樹さんが社会見学をして、そこで知ったことなり感想なりをつづるという本で、読んでも得にも損にもならない行動記録ような記がする。つまらないわけではない。消しゴムやデザイナー・ブランドの服がどういうところで創られていくのかを初めて知ったから、僕にといっては面白かったけれど、興味がない人にはさっぱりかもしれない。 すでに社会にシステムとして確立しているものは、商品を社会に安定して供給できるような仕組みがある。それは人体模型の工場でもそうだし、結婚式場のサービスもそう。お客さんという立場からみると「商品」という完成形しか見る事ができない。だから、なんだかしらないが「そういうものがある」ということに不思議さを感じないでいる。しかし、それを生み出す側に回ってみる、誰かが「作っている」という事実を知ることが出来る。逆に言えば、この人たちが付く慣れなければ消えてなくなってしまう、ということなのだ。どんなものでも誰かが作っているということに気づく。魚が切り身の形で泳いでいると思っていることどもをバカにすることは、社会全体でみると果たして可能なのか。もやは誰も全体を認識しているわけではない、ということに気づく良いきっかけになる本だろうと思う。 |
高田純次さんが好きなので、正直期待をしないけど買ってみた。フォントは大きいし行間は広いしで、なんとも損な感じがする本だけど、仕方ない、と諦めて買った。価格が1000円していないのがせめてもの良心なのだろう。 一回の対談で、表紙の写真撮影までやったのだろう。実に経済的な出版行為である。茂木健一郎さんにかかれば、売れる本になってしまうのだから驚きである。 じゃぁ内容が悪かったのかと言われると、ビックリするほど良くはないけど、損したと思うほど悪くもない、というところ。いいなぁと思ったのは「高田純次さんの発言の意外さ」で、表題通り「予想とちょっと違う」ところにあった。その発言には、高田純次さんが役者と生きてきて、役者として考えていたことや、横尾忠則好きのアートについての発言などがあり、いわゆる普通のオジサントークで、ちっとも「インチキさ」がうかがえない。そこが「面白い」わけである。 ぼくの印象に残った高田純次さんの発言はこういうものだった。 高田 ただね、結果はどうであっても、とりあえず頂点に向かっていかないとだめだとは思っていたんですよ。事業仕分けの連坊さんが「スーパーコンピューターはどうして世界一位じゃなくちゃいけないんですか」と質問していましたよね。あれ、僕は答えられますよ。「一位を目指さないと二位にはなれないからだよ」って。 この本に期待していなかったのはホントだけど、こんな一言に出会えたのは拾い物だった。この本の白眉だ。というか、これまで高田純次さんの本で読んだものなかでも白眉なコメントだろう。 物をつくる人(芝居も含む)がそういうことを当然のごとく言えないって、本気で生きていないことの証明なんじゃないかと思う。ぼくはこれから先いろんなことを提案し行動し続けるつもりだけど、世界一を目指すと必ず言うことにした。だって、その理由は、この高田純次さんの一言に尽くされているもの。勉強になった、ホント。 |
アマゾンのお勧めということでプッシュされた本。なんな気になったのでそのままクリックして買ってしまった。いかん、年収の10%以上をアマゾンに吸われつつある自分に若干の嫌悪感を感じてしまった。 大分前に『ネバー・ツー・レイト』という本を買った。その関係からお勧めが来たのだ。その本では、オジサンが一念発起してチェロを始める過程が綴られており、それを読んだ時期にぼくもオジサンになってからチェロを弾きはじめたという事情があり、読んでいた。まぁ、あまり良い本ではなかったのだけど。 この本の著者はニューヨークでバリバリ働く30代女性がヨー・ヨー・マの演奏に感激してチェロを習いはじめるという話である。見つけた先生が良い方で、毎週の練習が楽しくて楽しくてしかない。毎夜の練習がとれないこともあり、会社にチェロを持ち込んで空き会議室で練習するという熱の入れよう。だからだろう、初めて7ヶ月目で市民オーケストラに入ったり、アマチュア対象のチェロ合宿に参加するためイタリアへ行ったりとバイタリティー溢れる女性の奮闘記である。嫌なことは何一つふれられておらず、あったとしてもすべて「不安」に置換えられ、それら最後に驚きへ昇華されている。 こういう女性象は、ある種の女性のからはみれば完璧であり、ロールモデルであろう。そういう人が好きか嫌いかは別として、この本はほぼ一気読みだった。 が、正直途中から引いてしまった。ごく普通の人が感動してチェロを始めた、という話だと思って読んでいたが、石川敦子さんは働きバチたる普通のの人ではない。「スマート」な人である。一市井のオジサンたるぼくとはそもそもからして違う世界の人なんだよね。ニューヨークでばりばりと働くという設定からして珍しい(でもないかもしれないけど)。 だいたいにおいて、オジサンになってからチェロを始めるというのは、毎日の生活に満たされないものがあるからであって、しかも「働き盛り」のはずに練習時間がとれるんだから、要するにコースアウトしているということなんだよなぁと思うのである。まぁ、そうではない人もたくさんいるんだろうけど。 ダメ人間が成長し何かを成し遂げるという形であれば、それはある種のおとぎ話の型だし、それはそれで面白いだろう。ただし、実際にはそんなうまい話はない。 石川敦子さんのように、そもそもできる人がやっぱりできるんだよねという話の面白さは、自分がどの世界に属しているのかで変わってくる。ぼくのように、音符も読めないところからスタートした人にはそもそもからして参考になるところは少ないのが現実。単に、音楽好きの人はこういう生活するんんだなぁと知るだけで終わる。なるほどねぇ、というため息と一緒に。 途中から気なったのは文章である。最初はとくに気にしないで読んでいたけれど、途中から言葉のリズムにどこか定型的なところが気になりはじめた。章の長さがまちまちだったから、これってブログかなぁと気がついた。なるほど読みやすく編集されてるが、プロの文章ではない。というか、市井の人の上手な文章とプロとはやっぱり壁のようなものがあることを初めて体感した。とはいえ、この文章はとても読みやすいので悪口ではない。ただ、気がついちゃったことを述べたまでである。 この本を読み終えた翌日、チェロのレッスンへと通う。ため息がでる「下手くそさ」である。がんばってもできんやつって、いるんだよね。もっともそういう話は、「それは世間によくある話」だから、あらためて言うまでもないけど。 |
塩野七生さんの読者ならば、息子さんはどんなひとなんだろうと興味を持つはずである。塩野七生さんのエッセイには、午前中や執筆に専念し、午後は子供の面倒をみるというような生活の一端が語られていた。また、あれだけ「頬に縦じわの入った男」に女性なのだから、自分の息子をそのような人にしたいと思うのではないかと想像してしまう。厳しい母親なのか甘い母親なのかはわからないが、どっちにしても「普通の人」にはならないのではないか。 この本は塩野さんとその息子さんの映画にまつわる対談である。内容は映画についての話だから、ぼくのような映画をあまり見ない人にはピンとこないことが多い。ただ、雑誌の連載になった対談だから、毎回読み切りで、しかも門外漢の人もついてこられるよう最低限の配慮はなされている。詳しい脚注があったりする。だからだろう、なるほどなぁと感じであっさりと読んだ。 著者略歴のところに写真が載っている。アントニオさんの写真から判断するに、ちょっと優しい感じの人のようで、厳しさというものはあまり感じられない。母親がスゴイ人だと息子さんはやさしい人になるのかもしれない。しょうがないなぁという感じで、母親の面倒をみるような。まぁ、想像通りといえば想像通りであるが。 |
<勝間和代を目指さない>。この本の帯にそうあって、それを見たら書店で笑ってしまった。幸い人がまばらだからよかったが、しかし面白い帯だ。 タイトルから内容を想像するに、もっと気楽に生きたらいいんじゃないんですかねぇというものだろう。日々の生活にでも気づけば結構楽しいことはいろいろありますよ。そういう精神科医の先生からの忠告のような本であろう。ぼくにはとりあえず必要ない本である。というのは、ぼくは仕事が忙しすぎるわけでもないし、つまらないわけでもないし、借金もないし、家族と問題なく暮らしているから。この本の結論にありそうな、「普通の幸せ」のまっただ中にいると思っている。 そういう日々の生活にいてもときどき「勝間和代さんを目指さないと行かんのかなぁ」と思うときがあり、漠然とした不安を感じることもある。ぼくの仕事場には勝間本を読んでいそうな人も結構いる。ぼくはそんな人たちと勝負なんぞしていられんとばかりに、大きく方向転換してしまっているので、まぁ気楽な生活なのである。だからぼやっとした不安は、「とはいっても、まぁ普通の生活でいいでしょ」と開き直ることで頭から消えてしまっていた。 この本でのテーマは、「普通の幸せ」というものを求めることが意外に難しいというものである。世間ではそういう状況になっているようだ。日本にもいろんな人がいるから、「日本人論」とまではいかない。テレビでも書籍でも「リーダーを目指せ」「勝ち組になれ」といったメッセージは溢れている。そんな社会に浸かっていると、リーダになれないならば人の価値は小さいといったような考え方する人は日本にも増えたのかも知れない。 ちょっと考えてみればすぐにわかる。とんでもなくスゴイ人を目指すことを否定しないけど、とんでもなくスゴイ人というのは数人しかないのだ。勝間和代さんを目指す人は大勢いても、勝間和代さんレベルに達する事ができるのは数人だろう。ところが社会には数百万から数千万という人がいる。要するに、宝くじをどう考えるかと同じ問題のような気がする。みんな目指せば目指すほど挫折する人が増えることになる。社会にとって、それは良い事なのだろうか。 この本での二番目のメッセージは、「努力は報われる」という信憑についてである。この言葉は「そうだといいよなぁ」という希望であり、昔ッから、人類史と同じくらい昔ッからある、とぼくは思っている。努力しても報われないからこそ、宗教なんてのが生まれるのだと思っている。がんばった人が報われるといいけど、実際はそうじゃない。それが社会なんだよね。この本はそう注意してくれている。 この注意は別に目新しいものではない。しかし、不思議とこの注意をみな無視する。オリンピックの金メダル選手のような人が、優勝したあとで自分のこれまでを振り返って語るとき自分を物語の主人公にしてしまう衝動にかられるのだろう、「努力すれば報われる」と言い続けるのをよく目にする。そして、それがよい話になっていく。 しかし、実際問題として、同じような努力をしてもうまくいかなかった人はたくさんいる。金メダルを取った人より努力したけれど、いろんな事情でうまくいかなかった人はたくさんいる。そもそも、スタートラインにすらたてなかった人もいる。そういう人の存在はすべて無視され、うまくいかなかった人は努力が足りなかったと断罪されておわるのである。 著者がとりあげたことについては、不思議とぼくも同じような意見に着地していた。それは決して「人生を諦めた」という意味ではない。なにをどうやろうとも、人は死ぬんだよなぁとしみじみ考えていると、普通に今生きていられる事がとても幸せに思えるようになった。だから、幸せを得るためにがんばる、ということをしなくなった。ぼくにとってまぁまぁの生活。そんなものを目指すようになったのだ。そういう態度だと少し不安だったのだが、まぁこれもありなんだなと思うようになった。 日々の生活をとくに楽しめるようになった。そのために自分なりに結論したことは、この本の結論とあまり変わらない。ただし、非常に上手に分かりやすい言葉で語られている。言葉の世界で生きている人は凄いなと思う。 |
通勤の乗り換え駅のコンコースにあった書店でこの本が平積みされているのを見かけた。乗り換え電車までの時間が一分なかったので、これでいいやと思いこの本を購入した。本の装幀、挿し絵は劣悪なもので、普段のぼくならば書店で見かけても買うことはないだろう。ただ、巻末に「文庫オリジナルです」という一文があり、それならばいいかと判断した。最近の茂木健一郎さんはスゴイ活躍をされており、十分に考える時間もないのだろう。さっぱりと良い本が出なくなった。適当な雑誌の連載コラムを集めた新書などもう買うまいと思っているが、書き下ろしならば書きたい内容があるのだろう。締切りのためにやっているわけではないだろうし。面白いかもしれないと期待したのである。 この本は少年少女向けの自己啓発書である。タイトルからして内容はセレンディプティーについてであり、偶然を許容しよう、偶然を活かそう、自分を変えていこうというような内容である。一応どの読者層にも当てはまるような配慮はされているが、茂木健一郎さんの著作が好きな人でないと受け入れれない本だと思う。茂木健一郎さんの博学(科学、文学、歴史などなど)権威を上手につかった説教なので。セレンディプティーそのものの面白さを解説するような内容ではない。茂木健一郎さんらしい脳科学(ドーパミンだの、偶有性だの)の味付けがしてあるが、それが効果を発揮しているとは言い難い。正直がっかりした。 茂木健一郎さんの能力(短期間に出版に耐える文章をどんどん書くことができる技術)はスゴイと思うし、大学での研究も普通にやっているのだから立派な研究者であることに疑いはない。科学をベースに多くの分野についての発言ができる人で、一風変わった風貌もマスコミから好かれる理由なのだと思う。しかし、最近は本当に書くものが「つまらなく」なってしまって残念である。茂木健一郎さんの書籍を買うのならば、四年以上前のものか、その時代の内容が再編集されて出版されたものでないと必ず失敗する。同じようなことを言っているからマスコミにもそのうち飽きられるであろう。マスコミに登場しなくなってからの新刊を待つほうがいいのかもしれない。 |
表紙を見て買ってしまった。このオジサン、何度かテレビで見たことがある。早口なのに論旨は明解で、ともすれば難解にしゃべることが知性があることに勘違いしている解説者が多い文化教養評論家にもかかわらず、語彙も平易なものを使ってくれる。だから「わかりやすい」ので好きなのだ。 音楽の解説というと、カッコつけたオッサンが知的っぽさを振りまくような物言いが普通なのに。どうして門外漢の人にはさっぱりのことを言うのだろうなといつも音楽番組の解説者を見て思っていたものだ。NHKなどその典型。それじゃぁ普通の人がクラシックに近寄り難く感じるのもむりないよ。 一方で、このオジサンは逆。偉ぶるところなどない。自分が理解したものを明晰に順序よく語ってくれる。だから、あれ、ぼくにわかりそう、という印象を与えてくれるのだ。なるほど民放の番組でよく登場するのも頷ける。 内容は普通の人がクラシック音楽に対して抱くであろうことをQ&A形式で列挙している本である。クラシックのコンサートに行くときにの洋服はどんなものを着ればいいのかといった具体的なものから始まっている。そういうことは「本質でない」という人もいるかもしれないけど、いざ自分で行動を起こすときにはこういう「つまらないことが障害となるのだ。そのことを著者はわかっているのだ。普通の人向けの音楽の本なんだな、とうれしくなる構成である。 本文にはイラストがたくさん入っている。それらはすべて著者のものらしい。オジサンなのにこんなマンガを書くのか。見ているとこちらが恥ずかしくなるような稚拙さや嫌な感じがない。自分で書いた記事に自分でイラストをつけるのが好きなのだろう。趣味ではじめたことでも長いこと続けているとかなりの腕前になるということだ。へぇ、ぼくもやってみようかなと思ってしまう。 クラシックを今の社会で盛んにするには、大勢の人にコンサートへ来てもらうことがまず必要である。マニアの数は限られているので、普通人を呼び込まなければならない。音楽といえば歌謡曲という普通の人たちにクラシックへ関心を持ってもらうには、普通の人に語りかける言葉を使える人が必要である。「おれは偉い」とか「教養」といったことを言外に述べるような人ではなだめだ。普通の人が疎外感を感じそうなところを取っ払うことにこの本は成功している。 講義でなく質疑応答形式でも本は成立するのだ。ぼくですら飽きないで最後まで読み通せたのだから、退屈しな本だということだ。こういう方法は音楽以外の分野にも適用可能だろう。問題は、その分野にこういう人がいるかどうか。古典文学にもいないかしら。 |
映画論ではなく、映画を題材として現代思想を語るというお話である。お話というところがよい。 物語を語るな、ということは、知ることも、批評することも、コミュニケーションすることも、すべてを断念せよということです。(P19) そういえば、あらゆることで「わかった」という事柄は「筋」をもっているような気がする。理解できたことは、「お話としてたとえ話をつかって説明できる」ことであるような気もする。 「意味のある」断片を組み合わせて、「意味の通る」文脈を作り上げるのではありません。逆です。文脈が決まらない限り、断片は「無意味」なままなのです。まず「物語」の大枠が決まって、その後に現実的細部を帯びるようになるのです。「知る」ということは、それまで意味のわからなかった断片の「意味のが分かる」ということです。そして「意味が分かる」ということは要するに「ある物語の文脈の中に修まった」ということです。 ああぁ、そうだったのか。いや、そうだよね。よく断言してくれました。そうかぁ、やっぱりそれでよかったのか。物語に変換出来た時点で「理解しちゃったもんね」となるのか。だから、人は物語を聞きたがるのかもしれない。 そういえば、子供の頃、本を読むことが勉強することだと思っていた。小説を読んで勉強になるのだろうかという疑問はもたなかった。物語というものをたくさん自分に入れていくことで、また、物語が物語として面白かったりつまらなかったりするというバリエーションを知ることで、何かを理解したときの疑似体験にはなったのかもしれない。 この本は映画をテーマにしている。それからいえば本筋の、あの場面はあのメタファー、みたいな説明って面白くなかった。「気づかなかったかもしれないけど、実はそうなんだよね」という説明はあとあと聞くと感心する。ブライアン・キーのCMの説明みたいなものだ。 しかし、そういうのって製作再度の技術のような気がする。「なぜこの映画は面白いのだろう」という解説ならばありだと思うけど、あることに興味をもったとして、その理由を解説されると興ざめないか。面白いものを面白いという印象をもったまま生きていたほうがいいんじゃないかとも思ったりする。 |
新刊の棚にでていて、おおと思った。ぼくにとっては幻の一冊。この存在はずっと知っていて、入手したいなぁと思っていたが、できないでいた。塩野七生の本は出せばうれるから、絵本や児童書の出版社であるポプラ社(よく知らないが、小学校のときにポプラ社の本をよく読んだ)が再版してくれた。ありがたい。 絵本である。内容は恋物語で、どちらかというと寂しいものである。まぁ、塩野七生らしい妄想なのだが、果たして当初の読者は誰を狙ったものなんだろうか??? 若干、対応に困りそうな本で、土地ラかといえばコレクターアイテムなのかと思う。 |
タイトルどおり。健康を気にしてジョギングをするアメリカ人は嫌いなのだが、生活のバランスをとるために体を動かすという意味ならば気にならない。気にならないどころか、「やってみようかな」と思い浮かんでしまう。こういう本、好きです。 走るときに何を考えるのかといえば、たいして考えない。我が身の記憶では、それどころじゃない、苦しいというものだ。走り慣れている人は違っているのだろうと思ったが、以外にそうでもないようだ。違うところは、走り慣れている人は文字通り習慣として走っているということ。楽に走っているのではないのか。 生活に充分な余裕があるからだろう、ハワイに一月滞在し、そこで朝走るという生活が紹介されている。暑い日に走り、汗をかき、そして冷たいビールを飲む。健康的な人が主人公の話があるのかどうか、私は村上春樹の小説はあまりよんでいないのでわからないが、そんなに小説とちがっていない実生活を持っているのだろう。ちょっと、いいなぁと感じる。 山場があるわけでも、読者に走ることを進めているわけではないのだが、なんだか自分も「毎日」走るという習慣を身に付けたくなった。毎朝3キロほど走っていた時期が自分にもあったが、それは20歳くらいのときだ。あれから体重は30キロくらい増えている。体力の衰えも著しい。しかし、歩くことから始めてみるのも悪くないような気がする。そうおもって、早速ユニクロでジャージ類を購入してしまった。 そういう人が結構多いのだろうか。この本は発売してまだ間がないのだがもう5版になっている。これをきっかけに走り始める人って、結構多いんだろうな。だから、ユニクロのLサイズの運動着がことごとく売り切れになっているのかもしれない。 |
|
高田純次 テキトーに作ってある本だなぁ(笑)。本人が本を出そうなんて思っていないけど、テレビ番組のように企画したスタッフがいたんでしょうね。本人のおしゃべりで一冊新書は難しいから、和田秀樹との対談(というか、カウンセリング?)なんか入れて、過去の本から適当にダイジェストを入れて、最後に本人についての語りを入れて、いっちょあがり。コンなのありかよ。本の出だしは”いかにも高田純次らしい”コメントがかかれていて、高田純次が好きな私は買っちゃおうと判断したのだけど、失敗だよなぁ。この企画者にやられた。 今、新書ブームということだからやたら新書が出版されているけど、ビックりするほど質はまちまち。新書を読むという行為は二十年まえなら「勉強する」「1トピックの知識を得る」というものだったけど、今は雑誌程度のものばかりだもんなぁ。エンタメ本を読むのと対してかわらん、心底思っていれば「新書ならば買う」というクセから抜け出せるのに。困ったものである。 |
|
いしいひさいち 女性ミステリー作家の日常を漫画にしたものです。小学校の先生をやめて作家になったという設定。1巻が面白かったので、2巻も読んでみました。高村薫さんのような人がでてきて、「作家ってのは、えらく不健康な商売だなぁ」と思ってしまいます。自堕落な生活。ちょっとオーバーなのでしょうけど、当たらずとも遠からずのようなところがあるのだと思います。 しかし、苦しんで(というか、疲弊して)小説を書いていて、楽しいのでしょうか? 会社員とは違うのだから、自分のなかから発生する動機が強い人がなる職業の人は、みんな人生をエンジョイしていると想像するのは錯覚なのでしょうか。こういうイメージを作家にもってしまうと、ミステリーって読みたくなくなるんですよね。まぁ、どうでもいいことですけど。 |
|
いしいひさいち いしいひさいちの漫画である。何気なく立ち読みしたのだが、地味に面白かったので買ってしまった。「がんばれタブチくん」を思い出す。この漫画の主人公はミステリー作家の女性である。モデルがいるのだろうか。高村薫や宮部みゆきと同じラインの作家ということにしているようである。私は詳しくは知らない。だらしない生活を送っているが、小説はばりばりこなすという小説家、キャラとしてはなんどか見かけるのだが、ほんとうに存在しているのかね、こんなタイプの人。私はしらないけど。 |
|
中村元 水族館に対する素朴な疑問に答えている本。読みやすくて、ユーモアがある。日常生活にはトリビア的な内容ではあるのだが、飲み屋でいろんな話しを聞いたような、ちょっと得した感じがする本である。普段聞くことができない話しを通勤電車で読んでしまえる文章で読めるのでありがたい。 最近は大きな水槽が増えた。あれはガラスではなくアクリルだそうだ。割れることは絶対にない。あの阪神淡路の震災でもっとも被害をうけた地域にあった水族館でも水槽は壊れなかったそうだ。ただ、配管系がこわたので水は漏れたそうだが。なるほど、それならば私も行ってみようかな。そんな気分にさせてくれる。 裏話というほどではなくとも、ある専門化した仕事の常識というのは普通の人にとったら非常識なものばかりになる。そういうのって、役に立たないのだけど面白い。なまじ役に立つという知識は遊び後頃がなくなるのでつまらなくなるのかもしれない。そんな感想を持った。 |
|
爆笑問題 ぱらぱらと立ち読みしたら、ちょっぴり笑ってしまった。隣で本を探していた女の人がサッと離れてった。まぁ、いいじゃないか、面白かったんだから。そんな気分になる本である。 しかし、購入は勧めない。ちょっと、「薄い」気がする。TVの喋り(とくに、「検索ちゃん」)の方が濃厚な気がするので、読後感は「ちょっとなぁ」であろう。私の場合は衝動買いだから、まぁ、仕方ないや、である。 ハインリッヒの法則は、リスク管理の話題で耳にする。ただし、現象はある確率で現実化する、ということを認めるのならば、自明な気もする。300:29:1という細かい数値はべつにして、100:10:1という比率だと思えば特段不思議な気分はしないものだと思う。ただ、それを、「ネタ」に読み替えて普段の生活に笑いを探すための道具にするあたりは、太田さんのさえですね。 |
|
「ラミーのすべて」製作プロジェクト 万年筆を買おうと思い伊東屋へ行った。ペンがずらっとならんだショーケースを見ていた。如何にも万年筆という形態で、しかも高いペンばかり並んでいる中、簡素なデザインのペンに気がついた。それが、ラミーの製品だった。文具に興味がない人でも、ラミーのペンは他のペンから見分けがつくと思います。デコレーションがあまりない簡素なつくり。メタルと黒、ヘアライン仕上げ。触ってみると「精度追及の結果からでたドイツ製品」という感じが伝わってきます。そんなラミー製品についてのカタログとラミー本社の訪問記、社長へのインタビュー記事でまとめられた小雑誌です。 何らかの雑誌の記事を一冊にまとめた感じはしません。本の構成はシンプルなので、考えないで読めます。ちょっとしたカタログを兼ねているので、ペンを買う前に見ておくといいでしょうか。私は各ペンのリフィルの型番まで覚えてしまった。午後の紅茶を飲むときのお友にいいと思います。 |
|
土橋正 文房具を紹介する本。この手の本は、万年筆とノートについて語るものが多いが、この本は一般的な文具をあっさりと示す程度なので、趣味人でなくても愉しめるでしょう。ロディアやモレスキンといったちょっと大きめの文具店ならば扱っているノート、トンボやラミーのペンについての簡単な紹介なので、いいなぁと思ったら購入しに出かけよう。バカ高のものはないので、2回くらい夕飯を地味にすれば手に入れられるものばかりです。 わたしも文具が好きです。この本を読んでから、伊東屋・丸善を回ってみました。高いものではないですが、ペンを買って幸せな気分になってしまいました。ちょっとした、休日の過ごし方です。 |
|
赤瀬川原平 「路上観察学会」の人。視点が面白い。けど、だからなんだ、という気になる物でもある。新書だし、この人の見方のエッセンスでも知ることができるかなぁと思って買ってみた。内容は、過去を振り返ってというようなエッセイ?で、なるほど、という感想を持った。が、これも高いなぁ。ただし、この本で紹介されていた「ステレオ写真」はちょっと気になったので、本を購入してみます。 |
|
佐藤雅彦 佐藤さんの思いつきは面白い。ほんわかしたところがあるマンガも。この本はレジ前で平積みになっているので手に取った。表題の発送がおもろいじゃない。四国と北海道を入れ替えたマンガがある。こういう発想は私にはできないなぁと思い、買ってしまった。内容は、ようするにマンガでしたが、まぁ、悪い物ではない。ただし、高いかなぁと思ったが。 |