昔の自分は他人である。なぜなら、自分で考えたことでも忘れてしまうから。忘れてしまった自分の考えを聞いたとしても、他人の意見のような気がする。「こんなどうでもいいことに、なぜ興奮していたのだろうか」「昔のオレの方が頭がいい」という具合に、ビックリしたり悲しくなったり。人は変わる。確かにそうだ。 歳をとるにつれ成長する一方で退化もする。考えたことを記録に残せば、成長と退化を一目瞭然できるかもしれない。このブログはぼくの意見でしかない。が、似たようなことを他の人も考えているかもしれない。
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とにかく忘れると損するようなことを記録したノートの断片。PCに関する事などはウェッブ内を検索するとそれなりに便利な情報が引きだせるので、個人的に記録する必要がないというのは嘘である。検索結果は常に入れ替わるし、ページも消えてなくなることは結構ある。確実なのは「実際に役に立った」ものをメモしておくことである。 なぜそんなことをメモするのか。それはある作業をしているからである。その作業についても作業日誌としてこのブログを利用することにする。
30代半ばで弦楽器を始めた。なにか自分にはできないことに挑戦するにはギリギリの年齢だろうと思ったからである。音符さえまともに読めないのに、クラシックにはなじみもないのに。自分の世界を広げるということはどんなことなのか。 レッスン中のこと、アンサンブルでのこと、そして一人で練習しているときに思いついたことなどを備忘録として綴ってみる。なんでもそうだが、自分で「発見」したことは後々まで憶えているし、それが自分の考え型やものの見方にひどく影響をあたるものである。ずっとあとで見返すときっと面白いだろう。
よい勉強法は存在するのか。この問いは「UFOは存在するのか」と似ている。すこし胡散くさいから。しかし、どうやったら少しは賢くなれるのかには興味がある。その方法は、時・場所・人によって変わるはずで、正解は複数あるはずだ。あまたある正解のなかの一つをここに示すことにはそれなりの意味があるだろう。 世の中の「頭がいい人」はこんなことを考えないだろう。彼らは苦労をしないから工夫もない。ぼくは自分の頭の回転が鈍い。しかし、諦めないでそれなりに工夫し実践してきた。そのコツをまとめてみる。
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リレー・エッセイに参加してみる。といっても、依頼されたわけでも、誰かリレーするのもない。リレーエッセイの本を読んで、勝手に参加してみるのだ。自分ならどう書くだろうか。人によっては無意味呼ばわりするだろう。しかし、何かを上手になるには「やってみる」よりない。座学も教科書も、それだけでは意味がない。忘れてしまうから。 どうせなら一流どころに混じってみる。自分の至らなさに恥じ入るのも勉強だろう。この訓練は誰にも迷惑をかけないし、ひょっとしたら、これってとてもいい方法かもしれない。
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ぼくがこれまでしてきた事を紹介する。そう思っているのだが、これといってない。できればぼくが生み出した作品(アウトプット)で、賞などを獲得したものがあればカッコいいのだが、そんなものはない。 しかし幸いなことに、これまで研究らしきことをして発表したことはある。ならばそのリストを公開すればいい。それらは実に散漫で、場当たり的で、それでいて数が少ないのでカッコ悪い。しかし、それが他人から見えるぼくであるのだから、仕方がない。もうちょっとカッコいいものを載せられるよう努力したくなった。
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