1. おいしいまずい問題
その属性は対象になく、自分にある
宣教師ルイス・フロイスは16世紀に来日した。元亀天正の頃である。その人の著作にヨーロッパ文化と日本の文化の比較ある。ヨーロッパと日本の生活習慣はこうもちがう。それを本国へ報告した。当時の日本は中国文化圏にあり、地理的な条件から宗教的な条件までヨーロッパとは違っていた。だから、食べ物を含め生活習慣が違っていた。その報告に、味覚について違いがある。日本の食べものは概してしょっぱい。一方、ヨーロッパの味付けに日本人はまるで味を感じないみたいだとある。
しょっぱいものの好き嫌いによらず、普通の食事の塩分はヨーロッパと比べて強かったのだろうか。ぼくはしょっぱいものが好きな性分である。塩分も強いのが好き。しかし、日本の一般の人がどこまで塩からいものが好きなのかはわからない。しかし、ヨーロッパ人と比較するば、断然好きなのだろう。
欧米に旅行したとき、ケーキを食べてみるといい。甘くてビックリする。砂糖が飽和しているようだ。コーヒーなどでで中和しないと、のどがやける。あるいはヨーロッパで買うカップ麺はカップ麺とは言えない味である。おいしいまずいではなく、別のモノである。食えたものではない、といっていい。甘いラーメンなのだ。
普通の食事も味付けは甘い方に偏っている。もっとも、旅先で高級店へ行くことはないから、一般論とはいえない。それに、ぼくが食べても「ちょうどよい味付けだぞ」という料理もあったので、全部が全部甘いのだとも言えない。
おいしさを決めるのはダシである。グルタミン酸だったりイノシン酸だったりだろう。みそ汁を作るとき、ダシを普通の量の倍使うと明らかに味がおいしくなる。値段が倍のみそを使っても味は倍にならなのに、倍のダシで味は倍になる。人のうま味の感度は塩分ではなくダシの方が強いのだろう。だから、上手いまずいを塩分の感度で議論しても的外れかもしれない。とはいえ、ヨーロッパと日本の違いははっきりある。
誰も気がつくと思うが、「本場の味」という料理は大抵まずいはずである。まずいという表現が悪ければ、しっくりしない味であろう。ヒトの味覚に合わせて料理が作られているのならば、ヒトが違えば当然おいしさも違う。それは、モノのせいではなくヒトのせいである。本場の味では店が繁盛するはずはない。カップ麺が東日本と西日本向きに味が変わっているはずである。
もう、この食べ物はまずい、というのはやめる。それは、これをおしく感じない自分がいる、と言っているだけである。それは自分にしか通用しないボヤキである。
2008.08.31.SUN